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神事における儀式や呪術
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芸自体が主になるか あるいは 他の目的に付随するやり方
A.曲独楽師の名前で公演が成り立つもの
B.商売品販売が主 曲独楽は人寄せの手段(この場合 芸人本人が商品で 曲独楽の芸はあくまで選択肢のひとつという物 経済的安定を得た時点で曲独楽は廃業する事が大半)
上記 Aの場合 公演の形として
時代が古い順に 大道芸 小屋掛け 寄席演芸とサーカス公演 となります
そして Bですが これも古い順に 全国移動販売の越中富山の丸薬「反魂香はんごんこう」売り 扱うコマは主に中国由来の輪鼓(りゅうご・今で言うディアボロ)
それから歯磨きまたは抜歯の居合い抜きと共に演じる場合などの 香具師大道芸
さてさて
時代が 海外との交流を 一般人も体験していく 江戸末期から明治の時期
人の都市部への流入や 全国規模での人の移動が自由になった結果
芸の縄張りも 崩れていったわけであります
かつて 存在した 農閑期の 万歳のような 門付け芸は特に
寄席の都市部での 定着と合わせて
芸自体が「座敷での芸」そしてのちには太鼓持ちか落語家の持ち芸になっていき
やがて 各発祥地に残った 芸の本家以外は
生き残る場所が 寄席の中だけに限定されていく事になりました
海外でも 身体で表現する種類の 曲独楽 曲芸 手妻(日本マジック)は
その江戸末期から明治に渡欧 渡米し
ごく 限られたサーカスあるいはボードビルショーの専属になり
生涯帰国せず何度かの戦争をくぐり抜け 生き抜いた芸人もいます
曲独楽の場合 海外に出たのに なぜ 芸自体が ジャグリングのディアボロのように 変化していかなかったのか
私はとても不思議でした
しかし ある方が調査した イギリスでのとある曲独楽師の生き方を紹介したレポートを見せていただいて
納得した事があります
その曲独楽師は 現地の職人を教育して
イギリスで 曲独楽を作らせていました
とても 熱意のある方だったのだなあと 感動しましたが
その曲独楽の…おそらく 試作品のたくさん置いてある部屋の写真を見て
職人の使っていた 刃物は 切れていたのだろうか という疑問がわいてきました
なぜなら
曲独楽を製作する現場を知る 曲独楽師なら わかるのですが
作り手は 技術が上れば 色んな形や 工夫をしたくなるもので…
お互いが そういう場合
曲独楽師は 芸を向上させ
作り手は 曲独楽の精度を上げるので
共に 向上しあい刺激を受けつつ その時代の 曲独楽の形を作り出すものなのですが
写真に写っていた曲独楽は
どれも これも 同じ形 同じ大きさのものばかりでした…
見る限りでは
恐らく 曲芸ジャグリングと曲独楽は 同じ1ステージ内で 演じていたはずですから
曲独楽も 「三増流」のような繊細な舞踊的表現は無く
大きな動きを楽しむことになります
故に 曲独楽の精度より 強度が優先され
私が見た 写真のような 1cm近い直径の心棒の曲独楽が たくさんあった理由ではないか…
しかも
他に 作りたくても もしかしたら
刃物を作る 鍛冶屋の技術が 良くなかったのではないか…
日本の鉄は 本当に良質なので
しかも 職人の技術も 最高レベルであったから
この曲独楽の 日本ならではの 芸の残り方と 曲独楽自体の形は
そういう理由も 私には 見える気がするのでした…
今日は とてつもなく 勝手な気分です
以上 勝手曲独楽師 三増巳也 でした