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2012/12/07

早いもので今年ももう師走になりました。
僕の方はいろんな突発事が連続して発生して
ちょっといろんなことが停滞しています…

さて今回は、「写真」という枠を越えて
ちょっとそのその側へ、視線を向けてみようと思います。
と、いっても最後のところでは自分が撮りたいもの
創りたいものへと回帰していくのですが。。。

「趣味はなんですか?」と聞かれたとき、
いつも僕は困ってしまい返事に迷います。
趣味・・・写真と言えばそうだけれど、「趣味」と
括ってしまうのにはちょっと抵抗がある。。。

仕事としての「写真」という部分は線引きとしてあるし、
作品創りが趣味なのかと言われれば、それは違うと感じたり。。。

とはいえ、最近では写真集よりも映画を観る数が多い気もするし
写真以外のものから作品への着想を得ているものも多い。
けれど「趣味 映画鑑賞」とは感じない…映画のカット割りや
小説の言葉から自分が撮りたいものを想起することも多い。
…うむむ、難しいことになってきました…

思えば20代後半から30代前半にかけての頃は
この時代はもう泡沫景気の末路というか、
その後始末や沈む船から逃げ出す人たちや
残された旨味を最期まで貪ろうとする人たちというのが
歓楽街の下っ端でバイトする僕にも見え伝わってきて
そんな雰囲気の街にただならぬ気配を感じて
カメラと、ネオパン1600というフィルムを持って
飛び出して行ったのもこの頃でした。

祭りの後先、過ぎ去る人沈む人、しがみつこうとする人
街はドラマで溢れていました。

生活の全てにおいて写真が優先になったのもこの頃だったと思います。
ギターベースを売り払い、NikonF3を買ってバイト先へと担いで行って
夜のお姉さん方に「どうしたの急にカメラマンにでもなるつもり?」と
冗談半分、本気半分…そんな感じでありました。

そんなからかい半分で受け取られながら、
そこで眼にする人間たちの織り成す悲喜交々が、
やがて創り始める僕の作品へと繋がっていくのですからわからないものです。。。

そもそも写真を始めるきっかけとなったのも、
たまたま大学の図書館(利用したことなかった)で森山大道氏の
「写真よさようなら」を見つけられて、その後中平卓馬氏や
PROVOKEへと連なる一連の作家たちを知り、とりわけ1960年代新宿で
撮られた作品は、カメラを持ち街へ出た僕にとっての道標になりました。

そしてなにより、それまで大学の先生方やゼミとの交流など
ほど遠かった僕が、写真というものに対して論議を交わせるようになったり
より深く写真を知りたい、もっとたくさんのことを吸収したい
日常全部そのものが写真というもの、とにかく眼にするもの全てを
写真へと直結させていた。。。そんな感じでした。

そこで、今回は「写真以外のせかい」についてのお話。

この頃というのは、まったくもって熱い…というか一直線で
古今の写真集を片っ端から観つつ無給奉仕のアシスタントとして
スタジオに出入りしては撮影技術をノートに綴り、最新の情報
最新の機材、レンズの性能など写真というもののあらゆることを
肌で感じていたかったし有り難いことに環境にも恵まれていました..
そのため無給でその日食べるものがなくてもなんとかなってたり
..まあ..とても暑苦しいヤツだったと思います。

やがて僕も社会人となるのですが、この辺りから少し
写真との接し方が変わって行ったような気がします。
仕事として写真の世界にいることは、
アンテナを立てる位置としては申し分ない場所…
なはずなのだけれど。。。

確かに入って来る情報の多くは写真の世界のことで、
そういう場所で感度を高めておくことの大切さは実感できたし
あとはそれを選り好みするだけで済んでいました。
だけどそのうち、あれ?っという気持ちがしてきていました。
情報を元に写真集を買ってみる、同じく展示へ足を運んでみる。

そこで眼にするものは写真を心から楽しみ取り組みまた悩みながらも
創られた作品たち、機材の話も花盛り…メーカー、機種、あのレンズこのレンズ..

写真一直線 写真しか見えない 写真を中心に廻る世界

全く写真以外のことは知らないということはないと思うけれど
比重という意味に置いて、その中心にある写真という部分を
ちょっとずらすというか、そうしてできた隙間からでも違う世界を覗けないか
そこから見える景色もまた、最新の写真情報と同等かそれ以上のものを
もたらしてくれるのではないか…と思うようになっていきました。

蛇足ではあるけれどこの頃の僕は仕事面で撮影と同時に
暗室作業もその深さをご指導いただいているところでもあり、
ファインプリント、粒子のナイーブさ…
それを自分なりに理解した上での違和感というか
プラチナプリントだけが写真じゃない…と同時に
粗粒子ブレボケこそが…というものでもない..
と答えの出ない問いに唾をとばして夜な夜な語る
これまた暑苦しいヤツではありました。。。

これくらいの時代からの僕はより多くの時間を
「写真の外の世界」と触れることに積極的になりました。
現代アート、自主映画、アングラと呼ばれる場所、クラブシーン…
今までは敬遠していた監督の映画、ゲームや黎明期にあったパソコン通信…
と同時に写真の最新情報には自然疎くなっていきました。
最新機種を聞かれても???です。

けれどそうしていくうちに写真そのもののメインストリームからは
外れてしまって今まで通りに写真の世界にいても
写真の最新情報は入ってこなくなったけれど
そこにいたままでは分からなかった、出会えなかったものに
確かに触れ、出会えたと思います。

そしてそれは、いずれ僕が創るだろう作品へ
還元されていくものだったと、今は確信を持って言うことができます。
アングラもメジャーも関係なく、僕の写真は路上から始まって
どうにかこうにかここまで来ているわけですから不思議ですね。。。

「視野を広く持って・・・」

とよく聞きますが、実際「写真が好き」であり「写真が糧」となってみると
自分が思っていた以上に他のことが見えなくなっているときがあります。
自分の写真はこうで、誰々の作品はこうだ..って
固まってたりすることもあったりする。

正直、作品中心に生活している頃は24時間のうち
仕事として写真に携わり仕事明けに暗室でプリントしていたり
撮影に出ているような、そんな日々でした。
給料のほとんどは個展の費用やプリントのために消えていました。

僕の世代はフィルムからデジタルへの転換期でもありました。
それが幸か不幸かわからないけれど、デジタルならではのものを
活かせたり、フィルムのエマルジョンや粒子を知っているから
暗室を選ぶという選択肢もある。
僕にとっては「デジタル」というものもまた、
「写真の外から来た未知なもの」でした。

オンリーワンとか、広く浅く、狭く深くと定義付けるのではなくて
あ、ちょっと気になる..良いなと思える場所へと視線を向けられる
そんな身軽さを持つことができたなら、写真で表そうとしていることの
幅は大きくなるように思います。

最新機種、最新技術、今では追いつくのも大変です。
だけど、これから先どんな未知のものが出現しようと
自分の中の「写真」の位置を自在にずらしながら
ときにはその天秤が傾くくらいになったとしても
(ぶれるという意味ではなく)
その隙間から「写真の外の世界」と接していくことができたら…

それはきっと写真もまた、「表現」という太陽を取り巻く
多くある恒星のひとつであるということで
僕たちはその恒星間を自由に行き来できる旅行者でもあるのだと…
だからひとつの場所に固執する必要もない。

持っている情報、機材の古い新しいでなく
新しい技術や従来からの技術と区別するでもなくて
「趣味」でも「生き方」でもない分野や垣根や枠を越えたところ
「写真」というキーワードひとつで
いろんなものや人へと繋がることができるものだと思います。

こんなことを書いてはいますが少し前までは大げさですが
「写真に殉じる」くらい凝り固まったものがあったのも確かです。
周囲にもそれを求めまき散らしていた部分もあって多々ご迷惑もかけました…
今は、少しだけ..出来る限りそっと..写真に触れられるようにもなりました。

今日手にするカメラが最新型デジカメでも
20年来使い続けてきたマニュアルカメラだとしても
いつでも僕は写真に帰ってくることができるし
写真との付き合いはそうやって寄り添っていくようなものだと、
今はそう思っています。

2012/12/07 09:01 | hideki | No Comments