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こんばんは、酒井孝祥です。
物騒なタイトルでありますが、ここで言う“殺す”というのは、決して命を殺めるような意味合いではなく、役者として駄目にしてしまうことの比喩表現です。
かつて劇団の研究生だった頃の話ですが、レッスンで台詞を読んだ後、主催者より「酒井、良くなったな!」と言われました。
その後から僕はぐんぐんと落ちていきました。
それは、僕の精神的な弱さに由来することであったと思われます。
誉められたことによって、
「いつもこの様に誉められたい。そして、自分にはそうなる力があるんだ。」
と、あからさまではなくとも、心のどこかでそう思い、それを精神の支えにしてしまったのだと思います。
毎回誉められたいという気持ちは、誉められたときと同じ状態をなぞろうとさせます。
しかし、芝居が上手くいって誉められたときというのは、決して誉められようという邪な心はなく、その芝居に対し、集中し、一生懸命であった結果であることがほとんどかと思います。
誉められたいと思って、上手くいったときと同じものを狙っていったら成功するはずありません。
誉められたことによって、自分にそれだけの力があると思ってしまうことは、どうしても慢心に繋がり、努力を怠らせてしまいます。
それで、以前はちゃんとやっていたこともやらなくなってしまうかもしれません。
その結果、以前は出来ていたことも出来なくなってしまうかもしれません。
以前出来ていたことが出来なくなった状態で、以前上手くいったときのことを狙ってなぞろうとしたら、救いようのないことになるのは明らかです。
さて、ここまで述べさせていただいて、タイトルの意味はご理解いただけましたでしょうか?
役者を殺すのに効果的なのは、ナイフではなく、「誉め言葉」です。
ナイフで刺さなくても、誉めれば役者は死んでしまうかもしれません。
それでは、役者がどんなに素晴らしい芝居をしても、誉めたらいけないのか…?と問われれば、必ずしもそうとは限りません。
誉めることが当人にとって強い動機づけになることは間違いなく、逆に、一切誉められることがなかったら、役者を続けること自体が苦痛になってしまうでしょう。
誉められたことによって、そこから、ますます自身を向上させるためのエネルギーを生み出すことだって出来るはずです。
問題は、誉められた後でも謙虚な気持ちを持ち続けられるかどうかと、誉める側が、不適当な誉め方をしないことです。
友人の芝居を観にいったとします。
そして、その芝居が全然面白くなくて、その役者の演技もまるで駄目だったとします。
終演後、ロビーで友人の役者に会って、面と向かって、
「今日の芝居は最低だった!よくこれでお金が取れるもんだ!?お前なんか役者やめちまえ!」
と言える人はなかなかいないと思います。
その相手がよほど人物の出来た人でなければ、人間関係は崩れてしまうでしょう?
やはりそういう状況に直面したら、たとえお世辞でもあろうとも、
「今日の芝居面白かったよ!よく頑張ったね!」
などと言ってしまうと思います。
そして、それが嘘っぽくならないように、なんとかしてポイントだけでも多少は良かった箇所を発掘して、
「あのシーンの、あの台詞は良かったよ!」
などと言ってしまうと思います。
そういうのが、最も役者を殺す不適当な誉め方だと思います。
本当に良かったことを誉めても死んでしまうかもしれないのですから、良くなかったことを無理矢理誉めるのは、役者に対する、まさに必殺技かもしれません。
それは、公演のパンフレットに挟まっているアンケート用紙のコメントについても同じことが言えましょう。
例え匿名でアンケートを書くとしても、筆跡や内容などで友人に自分だと分かってしまうかもしれないし、アンケート用紙を書いている途中や、渡したそばから、その内容が相手の目に入ってしまうかもしれません。
そのリスクを避けるためにも、アンケート用紙には、厳しいコメントは迂闊に書けないものです。
そもそも、否定的な意見を書いたところで、自分にメリットがないどころか、こんな舞台を観るために時間と労力を使ったのかという虚しさを再認識するだけです。
そのくらいだったら書かない方がマシです。
逆に、アンケート用紙で否定的な意見を散々に書き連ねるというのは、その劇団、その役者に本当に良くなってもらいたいという強い想いがなければ出来ないことでしょう。
人間関係を崩すリスクを負ってでも、良くなって欲しいという想いがあってこそです。
言い換えれば、アンケートで良いことばかりが書いてあったなら、その劇団、その役者に良くなって欲しいと本気で思っている人がいないのだと考えた方が良いくらいかもしれません。
そのことが分からずに、自分の芝居を観にきてくれた友人達に誉められたことで、
「今回の公演は大好評だった!これに続いて、次回公演も同じ路線でいく!」
と思って、毎回とんでもなく見られたものではない作品を作っているおめでたい劇団も正直存在します。
打ち上げの席で、アンケート用紙を回し読みしながら、
「このシーンのこの芝居のこと誉められている!」
「××ちゃんが良かったって書いてある!」
という風に、誉められたことを単純に喜び、大はしゃぎしている役者達の姿が目に入ると、まるで、自分達が既に死んでいることに気がついていない役者の亡霊の姿を見ている様な気分にもなります。
酒井が、これまでの人生で最も屈辱を受けたと感じたことについて述べます。
それは、ある公演の千秋楽を終えた後の話ですが、酒井自身は、自分が出演していながらもその作品が良いとは思えず、観に来て下さったお客様に申し訳なく、今回呼んだお客様に、次の公演では無料で御招待を出して、今回の公演の挽回をしたいと考えていました。
しかし、その公演の演出家は、自分の友人達に誉められたことに気を良くし、大成功だと信じて疑っていない様子です。
その演出家から、
「酒井君良かった!今回の酒井君は最高だったよ!」
などと過剰とも言えるほどに誉められました。
まるで、なぶり殺しにでも遭っているような気分でした。
書いているうちにヒートアップしてしまい、「誉める」行為そのものに対して否定的と取られかねない文面になってしまいましたが、しかし本来であれば「誉める」ということは、その相手に対してプラスな思いを持っていることに他ならないわけで、「誉められる」ことはとても感謝すべきことです。
この記事を読んで、
「酒井に対しては、何があっても誉めてはいけないんだ…」
という風に変な気の遣い方をしていただく必要は全くありません。
誉めてくださる相手に対する感謝の気持ちを忘れずに、謙虚に、謙虚に…
次回は、「出があるよ!」(古典芸能)をテーマにしたコラムをお届けします。