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いつの間にか、暦も小雪、雨に雪が混じり始める頃となりました。 「北風木の葉を払う」候と云ふ通り、荒神様の銀杏も木枯らしに吹かれていつの間にかすっかり裸になっています。
稲刈りを終えた私たちの田では稲架に架けた稲がカサコソと風に吹かれています。日に日に募る寒さに追い付かれない様にこれから12月初旬にかけて稲の脱穀を進めて行きます。こうして寒くなってくると、新米のいのちが身体に沁み通るような美味しさが何よりも待たれるようになってきます。葉物や根菜も美味しくなる季節です。
さて、先回のお買い物編に引き続きまして、Junkstageのライターの皆さん、8名様が秋の合宿と称してお越しになった時の想い出、第弐回です。
殆どのメンバーは、前夜東京から今や残り少ない夜行列車で岡山に早朝にご到着、それから目一杯観光などを愉しまれてからのご到着でした。お若い方々ばかりとはいえ、お疲れだったと想うのですが、ここでは容赦ない労働が待っております。
自分で食べるものは自分で誂える!
というのが、この谷間にご滞在になる方々の基本です。それでも、今回の皆さんは徹底してそれを実践なさって下さいました。エライなぁ!
私の処でのご飯の支度と云えば、何と云っても「籾摺り」です。以前の私の記事を読んで下さっている方も多く、驚いたことに皆さんこぞって挑んで下さいました。
8名もの方々が続々と籾を摺る光景は大変な圧巻だったと想います。何しろ、スペースの制約もあって、今回は屋外、庭先に広げた茣蓙の上での籾摺りだったのですから。
私自身は魚を捌くのに忙しくて残念ながらその場の様子を観ることが出来なかったのですが、実に驚くべき積極性で皆さんが籾摺りに挑戦して下さっている様子は聲で聴こえておりました。実は今回いらっしゃった方々はほぼ全員うら若くも美しいお嬢様方ばかりです。そんな皆さんがひたむきに籾を摺る、とても、現代の日本の光景とは思えません。
素晴らしい写真もありますので、出来ることならばこちらに掲載させて頂きたく、著作権者に交渉したいと想っております。
わたしの妻が籾摺りの指導をしたのですが、量を間違えて最初にお願いしたのは必要量の半分。で、改めて更に籾摺りして戴いた為、結局真っ暗になるまで摺って頂きました。寒かったと想います。とても、現代の日本の光景とは思えません。
それでも、皆さん、不平の一言もおっしゃらずにひたむきに摺って下さいました。
摺った玄米は無事、翌朝のお粥になり、皆さん、完食して下さいました。
美味しかったのだと想います。うれしいことです。
自分で手を懸けたいのちを戴くこと、そんな行為から湧き出てくる感謝の気持ち、歓び、そして、美味しさに少しでも触れて頂けたならば、わたくしにとって、それ以上に嬉しいことは無いのであります。