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スポ研でやっていた仕事は大きく分けると2つあります。1つめがライフスタイル・マネージメント、特に骨粗鬆症の生活習慣に関する運動療法の研究と臨床を中心にやっていました。
慶應病院時代の内科ではステロイド骨粗鬆症について骨代謝を研究していたので、新しい生活や運動との関係についてやるのは日々楽しかった。スポーツ医学には循環器や筋肉の専門家は多かったものの整形外科のような骨折や外傷ではなく、骨粗鬆症や骨代謝という領域は当時はまだ誰もやったことのない領域だったことと、ちょうど世の中に骨粗鬆症がブームになったことで、あっという間にその分野の第一人者的になりました。
学会や論文はもちろん、北里研究所のスポクリも繁盛し、マスコミにも取り上げられて忙しくなりました。骨代謝関係の学会では運動との関係を、スポーツ関係の学会では骨代謝や骨粗鬆症との関係を日本だけでなく海外でも発表しまくっていました。当時は骨々体操とか患者さんでボンボンサークルなどを考えだしオリジナルな活動もしていました。
もう1つの仕事は体育会のチームに対して、コンディションを中心にサポートしていました。運がよかったのは、ちょうどバスケ部の総監督がチームドクターとしてスポ研にサポートを依頼してきたので人生初のチームドクターがスタートしました。
コンディションサポートといっても、まだ何もできずないのでとにかく毎日体育館に行って一緒にバスケやってました。Bチームの相手でやってました。1年生と一緒にモップかけをしたり。本当に楽しかった。次第に何とか、彼らにドクターとしてもサポートしたくなって、まず勉強しはじめたのが、スポーツ栄養学です。知識を与えて具体的なコンディション創りを栄養の面からサポートしていました。
その時に出会ったナンシークラークというアメリカで有名なスポーツ栄養学の大家の書籍を翻訳してこれがまたベストセラーになりました。
バスケ部だけでなく、次第にスキー部、テニス部、グランドホッケー部、柔道部、そしてレスリング部などのコンディションサポートをしていました。栄養だけでなく、次第にトレーニング方法などをその競技にあったもので作成することに取り組んでいきました。いろいろ工夫して競技ごとのオリジナルの体力測定を考えだしせっせとやっていました。
その後は年間のトレーニング計画や試合に合わせたコンディション作りのメニューなどを提供する日々でした。バスケ部はその頃の学生と今でも付き合いをしています。三菱総研のコンサルタントをしている人間にはエミネクロスのバスケの会社の外部取締役になり今度はこちらがお世話になっています。
この頃のもう1つの小さな仕事として、慶應関連の学校にスポーツドクター校医として訪問していました。慶應幼稚舎、慶應中等部、慶應志木高校、慶應女子高などです。
スポーツ医学の知識を各保健室より配信し、運動部を中心に学校行事としてサポートしていました。この頃の幼稚舎のご父兄とは今でもお付き合いさせていただいており、その子供が今体育会で私のメントレを受けています。ありがたいことです。女子高時代に知り合った子はその後大学を卒業して私のところでも働いてくれました。心から感謝します。
ライフスタイル・マネージメントや体育会のコンディションをしているうちにさらにやりたいことが見つかってきたのです。