« ■スポーツ研究センター時代 その2(辻秀一物語第 10回) | Home | チャンスセンターその後 »
手術当日の夜。眠れぬ夜を過ごすのは久しぶりだった。
正確にいうと、少し眠ると『ハッ』っと目が覚めてしまう。
そんな中、寝たきりで身体を動かせず寝返りさえうてない私の脚には、
血栓が出来るのを防ぐために、一昔前のダイエット器具のようなもの、
エアーマッサージャーが取り付けられ、等間隔で空気が入ったり抜けたりしていた。
それが、拘束されているようでものすごく不快に感じ、
自分で少し曲げたり伸ばしたりするからと、外してもらった。
しかし、点滴はなお続いているし、手術中に口から入れられた管状の呼吸器のせいで、
喉は荒れてしまい、痛くて苦しかった。
夜は長く、何もすることのない私は、ただただ、回復室の天井を見続けた。
朝になり一般病棟に移され、母の顔を見た。
ああ、また朝早くから来てくれていると、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
同時にものすごくほっとした。
昼になると、ようやく食事が摂れるようになった。
出されたパサッパサのクロワッサンを残さず全てたいらげた。
お粥かなと思っていたのだが、皆と同じ普通食、
おいしかった。
乳がんは消化器系の病気ではないので、当たり前なのだが、それは私を安心させた。
一つずつ、少しずつ普段通りに戻っていく、
前と変わらない生活がきっと出来るようになる、と、希望をもてた。
身体はというと、心電図も点滴も外され、自由に動けるようにはなったが
手術をした側の腋の下からはドレーンがつながっていて、
時間が経つごとに、血の混じったようなリンパ液がたまっていく。
これがあるために、まだシャワーは浴びられず、
昼過ぎに母にお願いして温かい蒸しタオルで体を拭いてもらった。
このとき、傷口はまだ見ていなかった。
あてられたガーゼがどのくらいの厚みで取り付けられていたのかは分からなかったが、
想像以上に胸の膨らみがあったのが、単純に嬉しかった。
胸はそれで一安心だったが、手術をした側、右利きの私の右腕は、稼動範囲が狭かった。
肩の高さ、つまり直角以上には腕は上がらなかった。
特に肘から上の外側については、術後一年半が経過する今現在も、
触っても感覚が非常にうすいくらいで、このときはほぼ感覚がなかった。
右の方にある物を取る場合でも、身体をよじらせて左腕を伸ばして取った。
退院の日を教えてほしいと回診に来た医師に尋ねると、
早ければ4日くらいと言っていたが、やはりあと一週間は退院できないということを知った。
そしてここから、暇で暇で仕方のない入院生活が始まった。
・・・次は、入院中の出来事〜その後をお伝えします・・・