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こんばんは、酒井孝祥です。
前回、歌舞伎「勧進帳」のストーリーを簡単に説明しました。
見せ場の多い作品ですが、特に、自身が芝居をされる方などにとって、最大の見所は、山伏問答ではないかと思います。
自分達が山伏であると騙し通そうとする弁慶。
もし正体がばれてしまったら、番人達を討ち倒して関所を破らなければなりません。
そうなったら、まず、必ずしも勝てるとは限りません。
主君である義経も、自分も、命を落とすかもしれません。
仮に勝てたとして、この関を一つ破ったとしても、すぐその情報が近隣に伝わり、また新たな追っ手がやってくるかもしれません。
つまり、自分達が生き残るためには、何が何でも、ここで山伏であることを完璧に演じきらなければならないのです。
失敗は即ち「死」です。
俳優が舞台に立って、台詞を間違えたり、役を演じきれずに、お客さんから嘘の芝居をしていると思われてしまっても、それで命を落とすことはありません。
しかし、この場における弁慶は、山伏を演じきれなかったら、それで命を落としてしまうかもしれないのです。
まさに、命をかけた大芝居です。
それに対する富樫だって必死です。
この連中が本物の義経一行だとしたら、気を許した瞬間に、自分達が返り討ちにあってしまう危険だってあります。
義経を討ったとしたら、それは大手柄になるわけで、逆に、彼らにまんまと騙されてしまったら、世間の笑い物にもなるでしょうし、その失態を咎められ、処罰されるかもしれません。
このシーンにおける台詞のやりとりは、弁慶がボロを出すようにと、山伏が額につけているもの、身に纏っているもの、足に履いているもの、腰に挿しているもの、挙句には口から吐き出す息にいたるまで、それぞれの由来について富樫が質問攻めにし、それに対し、弁慶が完璧すぎる回答をするというものです。
単純に文字にして読めば、山伏に関する質疑応答です。
しかし、弁慶と富樫には、前述した様な、それぞれの置かれたシチュエーションと果たそうとする目的があり、互いの存在をかけて、凄まじいエネルギーが放出されます。
ですから、台詞と台詞のやりとりではあっても、刀と刀で鍔迫り合いをしている様なものです。
気を抜いた瞬間に斬られてしまうシチュエーションと変わりありません。
これ程までにテンションの高い質疑応答は、古今東西、なかなか見られるものではないと思います。
双方の放つエネルギーとエネルギーがぶつかり合うことで、互いにさらに大きなエネルギーを引き出す。
そして富樫のエネルギーが絶頂に達したとき、弁慶はいったんそのエネルギーを受け止め、場の空気をクールダウンさせた上で、そこからまたヒートアップさせ、先ほどの富樫の絶頂を更に上回るエネルギーを持って、富樫を説き伏せる!
随分抽象的な説明ですが、実際に観ていただければ、きっと、僕の言わんとすることが分かっていただけるのではないかと思います。
「勧進帳」は、歌舞伎の中でも頻繁に上演される演目の一つなので、観たことがない人には、是非観ていただきたいです。
次回は、「吉原のシステム」をテーマにしたコラムをお届けします。