立ち上げた当初はこれまでにつてのあった慶應大学の体育会やラクロス協会を中心にメンタルトレーニング、新しく立ち上げたチームエミネクロス、そしてそれに加えてぼちぼちと単発的に依頼のくる講演会を行っていました。
当時の講演会はスポーツドクターとしての健康に関すること、ライフスタイルに関するものやスラムダンク勝利学に関するもの、スポーツ心理学に関するもの、教育に関するものなどが、忘れた頃にたまに来ていました。プラス書籍を含めたこれもたまの執筆依頼。
これら4つを主なる生業で活動していましたが、なかなか軌道に乗るには時間がかかり大変だった思い出があります。
営業などしたこともなく、広告・宣伝も興味がなく、ただやっていれば来ると根拠なく信じていたのです。世の中そんな甘いものではなく、家賃やわずかなスタッフの給料などの支払いに追われていたことを思い出します。
そんな時代を支えてくれたのが妻で、そんな状況から抜け出すきっかけは1人の青年の出現でした。妻の話はまた折をみてしたいと思いますが、この難局を打破してくれた青年について話をします。
彼は学習院大学のラグビー部時代にわたしのメンタルトレーニングを聞いていました。
学生の時はそんなに印象深く付き合いがあったわけではないのですが、就職して数年後にちょうど私が独立して2年目になろうと苦労している頃に、連絡がありました。
UNISISという会社に勤めているが、今仕事で最も役立っているのは学生時代にメントレで私から習った心のつくり方だと。会社や社会ではそれができなくて困っている人がたくさんいるから、もっとこの考えをいろいろな人に広めていきたいと考えていますと。
嬉しい連絡でした。それからしばらくして、それを本格的にわたしのところで仕事としてやっていきたいと申し出てくれたのです。メントレをしたいのではなく、この内容を多くの人に講演会とかで聴いてもらえるようにすることに興味があると・・。
たしかにそうだけど、この申し出には困りました。なぜなら、そんなやる気のある優秀な青年を雇うお金もなく、ありがたいがどうしたものかと。すると彼が半年くらいは給料はいらない、半年もあれば先生の講演会で自分の給料くらいは出せる状態にできると言ってくれたのです。その申し入れを果たして受けていいものなのかわかりませんでしたが、現状打破しないといけないことは確かです。
そこで彼と話した結果、今のUNISISを退職してエミネクロスに来てもらうことになったのです。
優秀な彼が退職して転職するということで、上司の方の引き留めに強くあいました。彼の会社の取締役の方がどうしてもわたしに会って引き留めのお願いをしたいと面談したのを今でも覚えています。そのとき取締役の方がどんな条件で引き抜いたのかと聞かれ、いいえ給料なしのタダで来てもらいますと言ったことで決まったのです。
向こうとしては条件次第でより良い条件で引き留めようと思っていたらしいのですが、タダと聞いて、わたしと彼の思いがお金ではないということが伝わり転職可能となったのです。
それから半年わたしは一切営業など行くこともなく、彼が懸命につてをたどって営業してくれるようになったおかげで、給料を払ってもあまるほどに講演会の依頼が徐々にではありますが舞い込んでくるようになったのです。エミネクロスが生き残ってこれた1つの大きな要因は彼の登場だったことを否定する人はいません。今でも感謝しています。
今彼は結婚して義理のお父さんと新たな事業をすることになりエミネクロスは退社しましたが、今でも付き合いのある心から信用できる人材です。
人が人生を変えるのだと心から思います。