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日本最北端の町、稚内市から30kmほど南下したところにある町、「豊富町」を
訪れた。
ここは酪農の町。車の中から眺める景色は見渡す限りの草原であり、あちこちに
牛の姿が見える。
自分のルーツを辿り、4世代前まで歴史を遡ると自分の血筋はここにあった。
今からわずか140年前はまだここは全くの未開の地。
道路も家もなく、わずかにアイヌが狩猟を営みながら生活しているだけだったという。
明治時代後期、本州からの第一開拓団がこの地を踏んだ。
新境地の開拓を夢見て多くの人々が訪れたが、気象条件の厳しさや開拓の辛さか
ら離散していった者も少なくなかったと聞く。
やがて、多くの困難を重ねながらも強いスピリットを持ち続け、自己の力と明るい
未来だけを信じてきた者だけが残り、この地を切り開いていった。
このような開拓のストーリーは北海道の各地で耳にするのだが、当時とかけ離れた
今の暮らしの中で先人達の姿を想像することは難しい。
でも、それが今からわずか4世代前のことだと考えると、それはつい最近の出来事で
あったことに気が付き、驚くのである。
北海道の開拓者の末裔である僕は札幌で生まれ育っているが、現存する血縁者を尋
ねれば、先代から語り継がれた当時の話を実際に耳にすることもできる。
そして話を聞きながらいつも感じるのは、自分が今「この地に生きていることの偶然性」
と、「時間というものの概念」である。
この町の主産業である酪農業は今や大きく進歩したが、牛を育て、毎日干草を与え、乳
を搾るという基本的な仕事は昔からなんら変わってはいない。
毎日時代の流れと共に複雑化してゆく仕事に目を向けていると、開拓当初から受け継が
れているこの仕事がとても原始的で、且つ新鮮に見えてくる。
帰りがけ、この町にあるお寺を尋ね、自分の先祖に手を合わせた。
その時に住職さんが話してくれた言葉が印象的だった。
「自分が10世代前まで遡ると、1024人の人間が繋がっている。」
「もし、その中の1人でも欠けていれば、今の自分は存在していなかった。」
自分を振り返り、少し歴史を遡ると様々なことが見えてくる。
そして、自分が今ここに生きていることの偶然性に驚くのである。
多くの偶然性によって自分が「今」を生きているのなら、これから自分が迎える未来を
大切にしていきたい。