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嘘の多い人生を送ってきました。否、叩いた大口に身の丈を合わせようと、必死の努力をして生きています。
だから、僕には嘘をつくひとの気持ちが他のひとより少しだけわかる。でも、自分にまで嘘をつくひとにははじめて会った。
あまりに寂しいその姿に、嘘の怖さを知った。
詐病という言葉は、なにか利益を得ることを目的として、病気であるかのように偽ることだ。
この場合の利益とは、詐欺をして保険金がほしいとか、犯した罪に問われたくないとか、そういうことになる。このとき、患者は自分の“嘘”を自覚している。
一方、虚偽性障害とは、病気でいることで、周囲の気遣いを受けられる、弱者・被害者でいたり、他者に依存できたりするといった、精神的な利益を得ることを指す。このとき、患者は自分の“嘘”を自覚していない。これは、精神の病気だ。
精神科の外来には、この虚偽性障害疑いで紹介される患者さんがしばしばいる。
虚偽性障害を疑われている場合、患者さんは自分が精神病だと思っていない、あるいは思いたくないことがあるため、そのような患者さんは、他の検査という名目で精神科を受診させる。
今回は、そういうケースのおはなしです。
とても明るい患者さんでした。明るすぎると思うくらい。
看護師さんに車椅子を押されて診察室に入ってきた、大きなお子さんのいるお母さんです。
病歴は長く、この1年で、手すりにもつかまることができないほど、握力が落ちているということでした。
相当な期間入院しているのに、原因がわからず、他科の医師も首をひねっている、と、患者さんは思っていました。
実際には、虚偽性障害が疑われていました。
お話をさせていただいていると、少しずつかみ合わない、不自然な感覚があった。
ご自分の病気のことを、まるで友達と喋るときのように気軽に話してくれるのに、詳しく尋ねると細部は急に曖昧になって、ところどころ矛盾した点がでてくる。あるいは、思わせぶりな話しかたをするのに、その内容があまり大したことがなかったりする。
ひととおり診察が終わると、僕の指導医の先生は、ドアを開いてその横に立ち、優しい笑顔でその患者さんを見送った。
「はやく診断がつけばいいのですが」と言い残し、彼女はひとりで車椅子を操作し、入院中の自室へと戻っていった。
おかしい。
ドアを閉めた指導医が、意味ありげに感想を求めるまでもなく、僕にもその患者さんがおかしいとわかった。
検査になれば、手すりをつかめないくらいの握力の患者さんが、車椅子で自走できるはずはないのだ。
詐病は“自分が病気ではないという認識がある”状態で、虚偽性障害は“自分が病気ではないという認識がない”状態だ。
詐病の患者は自分の利益に正直だ。しかし、虚偽性障害の患者は、利益を得るために自分にまで嘘をつく。
自分はほんとうの病気なのだと。
「もう来ないかも知れないね」
指導医は言った。
「うすうす、気がついているのかも知れない」
ニコニコと明るい笑顔を浮かべた次の瞬間、電源が落ちるかのように表情が消える。
まだ医師でない僕には詐病も虚偽性障害も鑑別することができないし、ましてやそこにゆらぎがあるのだとしたら、人間の精神というもの自体が、怖い。
そんなふうにさみしく、かなしい生きかたをする理由は、いったい何だったのだろうか。
嘘をつかずに生きていくことなんてできないと思う。
でも、願わくば、僕のたいせつな人たちにだけは、嘘をつかずに生きていきたい。
もちろん、他ならぬ自分にも。
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※個人情報への配慮について
このコラムは基本的にノンフィクションです。でも、特定の患者さんを話題にするものではありません。
場所も、時間も、患者さんの病名も、病歴も、すべて僕が経験したことを、
ゆるやかに織り交ぜ、一部に変更を加えています。ご了承ください。