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朝晩はだいぶ涼しくなってきましたね。
ということで油断していたら、騙されました。
昨日、大会運営のお手伝いで一日外にいた結果、
現在顔がヒリヒリしています。
サングラスでパンダ焼けしています。
9月も後半に入っているにもかかわらず、
ここに来て日焼けって。。
今年はどこまでも驚かせてくれるアメージングイヤーですね。
そんな年に出会えて光栄です。
だから、どうか今年だけでいてください。
「資格」
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しかく【資格】
1)あることをする場合の、その人の立場や地位。
2)一定のことを行うために必要とされる条件や能力。
(参照:大辞林 第二版)
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弁護士、看護士、気象予報士、ふぐ調理師
特別な仕事をするためには、試験に合格して国家資格を得る。
Google、ゴールドマンサックス、SONY、コカコーラ
働きたい会社で働くためには、入社資格を得る。
ハーバード、オックスフォード、北京、東京
学びたい大学で学ぶためには、受験して合格する。
日本人は往々にしてこの“資格”を“目的”にしてしまうことがあるように感じる。
“資格”はあくまでも、
〝あることをする場合の〟立場や地位、
〝一定のことを行うために必要とされる〟条件や能力。
命を救いたいから、そのための資格を得る。
学びたいから、ある大学に入学する。
“資格”を得るということは、どちらかというと“手段”ではないだろうか。
“世界チャンピオン”もまた、“資格”なのかもしれない。
本質はその“資格”を持つことではなく、その先にあるのではないだろうか。
そんなことを感じることがある。
「なった者がかっこつけている」と思われるかもしれない。
しかしかっこよくなんてまったくない。
自分を救うためのただの言い訳のようなもの。
世界チャンピオンになることが、
夢であり、最大の目標であり、生きる目的のように感じて走り続けてきた。
しかし、それを達成したときに、
すべてを得たようですべてを失ったような思いになった。
そこからどのように生きるか。
“手段”を“目的”と混同してしまうことを逆手にとり、
“目的”だったものを“手段”と捉えれば、
新たな“目標”や“夢”を見つけることが出来るのではないだろうか。
正しか正しくないかなんてわからない。
捉え方で変わることが出来るなら、
都合よく捉えてもいいのではないだろうか。