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うわ~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!!!
出だしから滑ってしまった。。。
さて、
かの大御所、
構成作家の山中伊知郎氏とやたら馬が合う。
今回も長期の企画にて御世話になるが、
最近、書評をアメブロで更新している。
何だか普段はよくわからないヘンテコリンな強面の人やのと思うていた、
けれどこの書評を読んで、ええこと云うやん~と。思た。
http://ameblo.jp/yamanaka123/entry-10789790939.html
ちょい、文章を拝借。
「実際に、プログで書評を書き出してみて、
読者がどこにその本の魅力を見いだせるかは、
結局、読者自身のセンスにゆだねられている、
というのが何となくわかってきた。
その点で、この椎名誠は、異常に高レベルのセンスを持っているのだ。
たとえば手塚治虫の『アドルフに告ぐ』の中で、
胸に竜の刺青をした美女が登場するという。
彼女が刺青を入れた理由は、戦死した亭主の帰りを待つ間、
他の男に襲われたりしないためだという。
そんないい女の存在を「オトコの夢」と語りつつ、
彼は『アドルフに告ぐ』そのものの内容には一切触れない。
そういうことか、と少しは納得した。「書評」といえば、
まず本の内容について説明して、
その中で面白いと感じた部分をピックアップして、なぜ面白かったかを解説して、
といったような流れに、
どうしても凡人はとらわれがちだ。
この『活字のサーカス』は、だいぶ違う。
インドに行ったり、酷寒のシベリアに行ったり、
あるいは日本で仕事をしながら、そこで出会ったことと、
読んだ本の中身が、しばしばシンクロするのだ。
八丈島でダイビングをした話とシンクロして、
『潜水奇談』なる本が登場し、その中に、海底で、
座禅を組んだまま沈んだ自殺者がいる、
というエピソードが紹介されていたり。
どうってことのない、ムダな知識も満載だ。『夢うつつの図鑑』なる本には、
世界のへき地に旅する時、
必ずサナダ虫を体内に入れて、健康を維持していた科学者がいたらしい、
と語られているが、
だからどうだというのか。
また、せっかく活字で抱いたイメージを、映像によって壊されてしまうのが恐ろしい、
との指摘はなかなか鋭かった。たとえば「シルクロード」は、
活字で抱いていたイメージを、
NHKのドキュメンタリーが見事に映像化したために、
かえって実際に旅立ってナマで見たシルクロードが、
映像の「なぞり」に見えてしまったりする。これは危険だ、
と。「ロマンの既製品化」と彼はいう。
結果、その最大の防衛方法は「本に戻る」ことだ、と語る。
同じ本でも、年齢によって感じ方は変わる。
その年ごとに自分なりの新たなイメージを作っていけば、
映像に支配されることはないわけだ。
つまりこの人、本が好きなんだな。」
ひねくれ方が見事、憎めない人である。
下りが妙にしんみり来て、「本に戻る」のコトバである。
例えば、中高年のおじさんおばさんが本を作りたい、
今なら電子書籍で手軽に作れる。
ただ、その作るという行為において、
「手応え」云うならば完成したという実感を得られるのは、
「紙の本」であろう。その重み、厚み、指先でこする様に捲るページ、
本来、おじさんおばさん達、
ま、自分もそうだが、元々電子書籍が存在しない頃から「本」は存在した。
今、便利だから電子書籍が
様々に活用されるが、デジタルに急ぐプロパーは第一線のクリエイターか
、趣味で暇つぶしの人か、
正直僕には今必要ではない。とはいえ、毛嫌いしていながら、
それがいつしか後を追うようにジワジワと
浸透してくる。
アナログとデジタルの仕事のバランス、大事ですな。
感謝の気持ちは人によって手紙で出す場合、電書で出す場合と分ける。
ちなみに今日は、
神田の大御所が打合せを兼ねた即興画を見せてくれるというので御伺いした。
品プリでのイベントで魅せる「花咲かじいさん」を一時間で描きあげるというもの。
真剣な眼差し、画筆が入ると呼吸が止まる。全貌が明らかになるまで退屈させない。
完成というものがない、凝るとキリが無いわけで、それは解る。
さて、ということで、
「花咲かじいさんができるまで」
イー
アル
サン
スー
・・・・・・・・・・・・・
というか、今回は人ごとじゃないか!、自分のこと書けよ!
そして、いつもの・・・
う、うわ==============っ(@@)