« | Home | »

2012/09/04

JunkStageさんに

コラムの掲載を始めて 10月で 1年になる事に気が付きました

夏は 私のような

曲独楽師など 江戸風に言うと

遊芸稼ぎ人にとっては

イベントや祭などに 呼んでいただく時期です

 

実際の 営業と重なるなどで

なかなか 原稿が 出せなくて 苦しい夏でした

 

とにかく 色々何とか乗り切った9月のさわやかな原稿です

 

今回は

つながリアルということで 書いています

 

以前 NHK総合テレビ 全国放送に生中継で曲独楽の出演があった時に

愛媛県の 内子町にある 八日市・護国町並み保存地区の風景を

こちらでご紹介しました

この出演時の写真を まずご覧ください八日市・護国町並み 愛媛県 内子町

こんな風に 添え書きをいたしましたが

 

最近 現実に 体験している事を こちらにしっかりと 書かせていただき

 

自分でも 後で 再確認できる場所として 活用していきたいなと思っているので

 

この夏 本当に 頭がクラクラなる位 考えていた事などを

カテゴリー名

 愛媛県 内子町 町並み保存地区と 東京都 豊島区 南長崎商店街生まれの 曲独楽師 三増巳也

こういう 長ぁあああああああい 名前で 書いておきます

 

サブカテゴリー

日々曲独楽

 

では はじまりはじまり

 

愛媛では 南の方に位置する

南予(なんよ と読みます)を 若い人と働く人にとって

活性化する目的でもって 始まった えひめいやし博 が 今年 最大のイベントです

 

私も 有難い事に 伊達家の宝物を収蔵する 伊達博物館のすぐ横の

特設会場で 曲独楽を させていただきました

伊達家の歴史を勉強するのでも

実際に その場所で ゆかりの物を見ると

本当に クラクラしました

 

だって 伊達のお殿様が 埋め立てた場所で

私は曲独楽を回させてもらっているわけです

歴史だ~

 

歴史の上に 生活したり 歴史の中で生きている事が実感できる

 

そういう地域は貴重です

地元 東京の 豊島区 南長崎の地域も 変化が激しいみたいです

もう 地面の黒々とした色さえ 見られないんだろうな…

母が亡くなったときに 自宅へ帰って ビックリしたのは

小鳥がまったくいなくなっていたことです

メジロ シジュウカラ 雀 ヒヨドリ … 見たのは カラスだけでした

 

 

私が今いる 南予は 林業 農業 漁業 畜産業 養鶏農家など

第一次産業と呼ばれる仕事が 大部分です

その中で 私が 憧れて住んでいる

内子町は 柿ブドウ栗 米麦 農業林業畜産養鶏など 皆さんが

一生懸命 作っていらっしゃいます

1万2千人の方が 中山間部と 小さな町や 集落に住んでいる所なのであります

 

初めて 来た頃は まだ高速道路がありませんでしたから

招待していただいた 伊予のちょんがけ独楽名人

今は 三増流の弟弟子の右紋さんの案内で

国道56号を ひたすら タクシーに乗って 松山空港から内子町に来たのでした

 

東京の生まれの私ですが 母が 鹿児島県の曽於市 山の中の生まれで

5年に一回くらい 鹿児島に行っていたから

黒和牛の 早朝のエサを 刈り取りに 軽トラで行き来したり

ものすごい真っ暗な夜に 外のトイレに泣きながら行ったり

あまりにもたくさんの星を見て目が回ったりと

たっぷりと 田舎の暮らしについては 知っていました

 

今の内子町の大瀬地区の

山の中に 住むことに決めた時も その体験があったからこそなので

 

実際に そういう幼児期の経験というか 身体で理解する事があったから

曲独楽の道具で 稲ワラや麻を 編むとかの 田舎の知恵活用の実行力にも

それを迷わずに 学んで使う事ができるということです

 

本当に そういうことは 役に立ちます

 

私は多分 肌で 匂いや 天気 そして 危険な人とかを 見分ける やり方も

役に立っているんじゃないかなと 思っているのです

 

東京に 昭和40年代の後半頃から小学校や中学校 アスファルト化工事が始まりました

私が小学生の頃の話です

それまでは 道路でもどこでも

空いた土地には 砂利も敷きつめてない場所が多かった

廃屋も そのまま放置してあったり ぼろぼろのトタン屋根の小屋が

まだ数軒 あった

その中に 家族5人くらいで 住んでいる同級生もいた位だった

戦後の復興期の建物であったことは 今考えて やっとわかったこと…

私が見た 東京の 豊島区 南長崎の変化

これは 恥ずかしいけど 地元出身なのに ほとんど勉強していない

 

水田や練馬大根などの畑の持ち主が

地方から大量に移住してくる人を 受け入れる土地や建物の提供者として

ほとんど 同じ時期に モルタル造りの 5軒長屋のような

建物を 建てて 大家さんになった人がいたという地域です

という 乱暴な説明しかできない…

東京 こういうひとくくりには 全く見えない事も多い

実際に住んで その変化を見ている私も

こういう事を 話して説明する その力がない

 

幸い 私はこちら 愛媛県 内子町に移住してから

 

こういう話を聞いてくださる方が たまに かわせみ へ来店され

もっと話したいからと

自宅の 大瀬の築100年の農家に 泊まって 焼肉なんか一緒に食べちゃって

お帰りいただく機会が増えている…

 

私も 勉強しなくては いられなくなったわけです

 

近くに 手塚治虫さんや 赤塚不二夫さん 藤子不二夫さんの トキワ荘があり

野見山暁治先生など画家の先生方の溜まり場 池袋モンパルナスも あり

この辺の 稲荷神社も 正一位のお稲荷さんだったり

あと ちょっと歩くと

新宿区 中野区 練馬区 板橋区など 入り組んだ

住宅密集地だったり

 

目に見える紹介なんていうのは

実に つまらない

 

私も自分の幼児体験と 歴史の勉強と 今もまだ住んでいる同級生の事など

全部をつなげて 何かの動きを作ってみたくて仕方が有りません

 

これは 今の時代の 宝物かもしれないし

害にもなるかもしれない

 

しかし 歴史を知らずに 先人の知恵を 苦労を語らずに

ボケッと生活することの苦痛を 続けたくないので

私はまた 前へ出ます

 

暑さが落ち着いてきたので

みなさん 頭を働かせちゃいましょう

がんばろうね

2012/09/04 01:49 | miya | No Comments