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2012/07/31

更新が遅くなってごめんなさい。なおです。

実は、多くの文系院生は、7月末から9月末ごろまで、夏休みなのです(ちょっと小声)平日に美容院などに行くと「今日はお休みなんですか~?」とか「夏休みはいつですか~??」とか聞かれて、気まずい気まずい。 (勤勉におつとめしている皆さま、ごめんなさい)と心の中で何度も唱えることになります。

でも、院生にとっての長い夏休みは、純粋な休みではもちろんないのです。夏休みは論文を書く時間。学術雑誌の〆切も夏休み明け頃に設定されているものが多いです。

というわけでこの夏も、らっこの会メンバーは、私なお、タモンと諒三人共々、せこせこ論文書きにいそしんでおります。

そんな中、気晴らしにと思って読んだ本がすばらしかったので皆さまにご紹介したいと思います。

タチアーナ・L・ソコロワ=デリューシナ著・法木綾子訳『タチアーナの源氏日記―紫式部と過ごした歳月』(TBSブリタニカ、1996)

『源氏物語』のロシア語全訳を成し遂げた、タチアーナ・ソコロワ=デリューシナさんが、『源氏』の翻訳を行っていた日々の記録をまとめて出版した本です。「日記」という題ではありますが、翻訳当時の日記を再構成し、翻訳出版後の日本滞在記などを加えられている点では、回想録としての性質が強いといえるでしょう。

ちなみに、なぜタイトルに「タチアーナの」とつけられているかと言えば、これ以前に、『源氏物語』の英訳を行ったエドワード・サイデンスティッカー氏が、『源氏日記』を出版されていたからだと思われます。

特筆すべきは、著者(以下、「タチアーナさん」と呼ばせていただきます)が、大学や研究所に専属の研究者としてではなく、主婦としての家事に追われる日々の中で、『源氏物語』の完訳というとてつもない仕事に取り組んでいる点です。「セリョージャ」として登場する夫君(中国・日本の美術研究者)と叔母さん、親戚の子供たちの食事や洗濯の世話をしながら、その合間をぬって『源氏』やその周辺の作品を読み、研究し、平安時代のことばをロシア語に翻訳すべく苦闘しているのです。

四年前の春、私は『源氏物語』を訳し始めた。そして数年間編集者として働いた出版社プログレスを退社した。それ以来まるで二つの自然に生きているような奇妙な生活を送っている―『源氏物語』の世界と、この平凡なモスクワの世界と。ときには、どちらの世界が現実で私のものなのか、迷うこともある。(1980年2月28日)

紫式部の歌を、ピローグの焼きあがる間や食事の支度、洗濯の合間に読む。(1980年7月28日)

タチアーナさんは、モスクワ郊外の別荘地に住み、そこでの四季の移り変わりを鋭敏に感じ取って日記に記していきます。それから、一緒に暮らしている家族たちの幸せな描写が、この本をいっそう魅力的なものとしています。

三輪のチューリップが藤色の花をつけたが、朝サーシャが匂いを嗅ごうとして一輪折ってしまい、ずっと泣いていた。家は鬱蒼とした緑に囲まれ、別荘の間の小道を時折通る人がいてもそれが誰だかわかるのは、長身のセリョージャだけとなった。もうじき満月、夜になると木々の枝に月の明るい顔が漂う。(1981年6月5日)

夜、「朝顔」巻の手直しをした。サーシャはテーブルに「百人一首」のカルタを広げた―これはあの子のお気に入りの気晴らしの一つで、名づけて「日本人ごっこ」。(1980年6月17日)

明るいよく晴れた一日。窓辺の自分の机に向かっていると、セリョージャが木戸に新聞を取りに行く姿が、そして彼の後を犬のエノートが澄ましてついていくのが見える。幸福で和やかで安らかな気分。(1982年1月17日)

そして、次のような描写を見つけると、『源氏物語』の研究者(見習い中)としては、共感を禁じ得ないのです。

三日前の激しい嵐で、庭中に折れた小枝が散乱している。「野分」の巻の嵐の後の光景が思い出される。どこかで電線が切れたらしく、明かりがつかない。蝋燭をともす夜が続く。(1986年9月2日)

実生活の中で起きる様々な出来事や、自然の現象等を過去に書かれた物語と重ね合わせることが出来るのは、物語を愛し、繰り返し読んでいる者に与えられる喜びでしょう。

また、主婦であり、生活者でもあるタチアーナさんが生活を通じて『源氏物語』への洞察を深めている場面もあります。

あるジャムを作った日の日記。

朝からイチゴジャムを煮た。これもまた夏の風物詩。(略)面白いことに、『源氏物語』では食べ物にはあまり関心が払われていない。宴に限らず、単なる日々の食卓にしても細かな描写がどこにもない。十一世紀の日本人は米のおかゆと果物のほかに何を食べていたのかよくわからない。食の賛歌が皆無だ。(1980年7月12日)

しかし、タチアーナさんの本領は、この生活者としての感性のこまやかさと、研究者として、そして文学を愛する知識人としての感性の確かさが見事に両立している点にあるように思います。そのあたり、『タチアーナの源氏日記』については、まだまだ語り尽くせていないので、次回も続きを書きたいと思います。

『源氏』に興味があり、ロシアの文学や文化にも親しみを感じている方には是非この美しい本を手に取っていただきたいです。ただ、残念ながら今は古書での入手のみ可能なようです。もしよろしければ、大きな図書館等で探してみてください。

 

2012/07/31 11:46 | rakko | No Comments