
ベルギーのジュエリー
”パートナー” 日本ではこういった言い方は一般ではありませんが、欧米ではよく聞く言葉です。結婚はしていないが、同棲していて、お互いを彼氏彼女以上の関係だと認めている場合に使います。子供がいるケースも多くあります。
きっと結婚が生み出す素晴らしい体験と同時に生まれてくる難しさを天秤に書け、パートナーでいた方がいい関係が保てると思う2人、もしくはどちらかがそういう意見で相手がその意見を尊重しているケースなのでしょう。このケース、私にはどうしても納得ができません。まず、自分の全身全霊をかけて愛する人のためなら肩書きってそんなに問題になることなのでしょうか。
例えば、自分の夢に描いてきた仕事があるとします。その仕事はその会社のマネージャー職の仕事で、しかも幸いなことに自分の上司が自分をマネージャーに任命してくれました。しかし、自分は「マネージャー」という肩書きがもたらす責任や、人間関係、拘束時間が昔から嫌で、しかも今自分がいるポジションはとても働きやすいので「マネージャー」になることに気がすすみません。しかも、自分のしたい仕事が成功した後、引き続き同じ仕事ができるとは限らず、また今のポジションに戻ることも許されていません。そういった場合、あなたなら自分が夢見てきた仕事を捨てますか?それとも、夢を勝ち取る為に「マネージャー職」に就きますか?私なら迷わず夢に描いてきた仕事をとります。
また、私が上司なら、「自分はマネージャー職が嫌なので今のポジションのまま、次の仕事を引き受けたいのですが」と部下が言ってきたらきっと怒鳴り散らして叱ることでしょう。また、その仕事を仮に彼が今のポジションのまま引き受けたとして、彼のために仕事をすることになるスタッフはどうでしょうか。なぜ、マネージャーでもない彼に指図されないといけないのだろうということにならないでしょうか。また、関連会社も彼の肩書きが以前昔のままなので、何となく不信感を持ったり、また向こうがマネージャーでないならという態度で接する機会が増えないでしょうか。私が上司なら、そういった不安材料を理由に彼を選ばずマネージャーとして働く気のある人材を他に探すでしょう。
一方で、もし彼が嫌々でも夢の仕事を勝ち取る為にマネージャー職を引き受けたとき、上司は彼の姿勢をとても喜ぶでしょう。彼がマネージャー職に魅力を持っていたからではなく、仕事そのものに熱意を持っていることに対して誇りに思うでしょう。また、彼は昔のポジションを好んでいたにもかかわらずマネージャー職に就く訳ですから昔の同僚にも謙遜的な態度で接し、結果的に部下にも慕われる上司になることでしょう。しかも、マネージャー職という肩書きに疑問があるので、その肩書きがもつ悪い習慣や間違っている部分を当人として変えていくこともできるわけです。もちろん、それについては闘わなくてはならないところでしょうが、彼が本当にその仕事を愛していて、もっと多くの能力のある人が自分のような機械を得るべきだと思うならきっと闘うことができると思います。
さて、上記の例は仕事/上司=パートナー、部下=パートナーの家族/将来生まれる子供、マネージャー職という肩書きを結婚に当てはめて考えています。
私の父は、私にアメリカに行くのなら結婚してから行くように言いました。その理由は、私達が「夫婦」となることで、私達2人をサポートできるからということでした。結婚していなかったら私の主人のことを大切に扱わないとかそういうことではありません。私達は社会の仕組みの中で生きていて、この仕組みによって作られた肩書きを背負うことで、できることとできないことが変わってきます。それをポジティブに考え自分の大切なものを守る為に仕えるかどうかはあなた次第です。
また、相手に一生の愛を誓うことは仕事の肩書きよりももっと大きな責任と変化をもたらします。しかし、結婚したものとして、言えるのはそこにある祝福のほうが遥かに大きいのです。願わなければ、得ることはできず、またその存在を知ることもありません。願わないのは本人の自由です。でも、私は心から結婚の素晴らしさをより多くの人が知るべきだと思っています。