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2012/06/29

いよいよ独立です。
しかし、実際の生業をどのようにしていくのかの当てもなく始まることになりました。
まず考えた生業の柱は3つです。

1つはスポーツ選手を対象にした、総合的サポートの仕事。
とりあえずスポーツドクターの看板で、メンタルトレーニングを柱にして、スポーツ栄養学や体のケアやトレーニングなどの専門家たちと連携して行うものです。それぞれの専門家のクライアントを共有してアスリートをサポートしていければいいと思いたちました。実際にはアスリートたちは世の中にごまんといますが、生業にしていくのはそう簡単なことではありません。知っているつてを使って、少しずつ口コミをしていくことを目指していました。

おもに大学体育会のチームを中心にサポートが始まりました。大学の体育会の中ではそこそこ私の名前が売れはじめていたからです。ラクロス界と慶應大学体育会が中心でした。

その頃サポートしていたのが、ライフセーバーの佐藤文机子でした。その後彼女は全日本10連覇、世界選手権3位などの輝かしい成績を収めてくれたアスリートの1人です。今は子供ができ一線は退いていますが、ライフセイビング協会にかかわっています。

2つ目の生業は講演会です。
学校やスポーツ関係からの依頼で少しずつ講演会がありました。しかし、営業部隊がいるわけでもなく、待っているだけでしたので、増えることもなく、今の10分の1程度だったように思います。1回の講演単価も今の10分の1でした(笑)。

最後の3つ目の生業のアイディアがユニークでした。
前回登場したクラッシャーこと東野コーチと何か一緒にできないだろうかと考えました。上記2つの活動には関われません。アスリートサポートでは出番はありませんし、講演会はわたしがいれば何とかなります。そこで思いついたアイディアがバスケ好きだし、バスケのキッズのアカデミーをやろうと。

子供のバスケ塾を始めることにしたのです。
バスケ塾といっても、バスケのスキルだけをガンガン教える塾ではなく、バスケを通じて人間性を育むような新しいスポーツ塾です。まず必要なのが体育館。体育館探しからはじまりました。今でも体育館探しには苦労しますが、なかなか見つからず大変苦労したのを思い出します。わたしが医者として唯一関係を保っていた北里研究所に古い体育館があるのを発見し、そこを週1回お借りすることにしたのです。後は子供たちをどのように集めるか・・・・。今ほどソーシャルメディアが発達していない時代でしたから、まずは港区の区報に案内をすることになりました。

そこから、いろいろなドラマが生まれていきます。出会いのドラマやアイディアのドラマ、ビジネスのドラマなどなど。
子供のスポーツ塾の名前は「チームエミネクロス」。

続きは次回をお楽しみに。

2012/06/29 10:58 | tsuji | No Comments