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地球の舳先から vol.244
イラン編 vol.4
朝5時30分。
時差ぼけこそないものの、まだほの暗い朝方に起きる。
これから約6時間をかけて、エスファハンという世界遺産の地へ向かう。
かつて、サファヴィー朝のアッバース1世が首都と定め、「エスファハンは世界の半分」とまでうたわれた場所。
美しいブルータイルのモスクは印象的で、イスラム建築の本にも必ず載る特徴的な風景だ。
高速に乗ると、嵐といっても過言ではない大雨がさらに激しくなる。
現地3泊の弾丸ツアーでは、エスファハンに居られるのは1日足らず。
この日が勝負であるが、とても観光というか外を歩けるような天候ではない。
それでも車は、平均120-140キロほどで飛ばしてゆく。
ただし、制限速度60キロのトンネルではいきなり速度を落とし、てきめんに法令順守。
何事かと聞くと、このトンネルには、違反者を撮影するカメラが搭載されているのだという。
厳密なルールは表の顔で守りながら、規制のゆるいところでは一挙に息抜きをする――そんな「一線」とのせめぎ合いは、テヘラン女性のヘジャーブ(スカーフ)姿にも通ずるものがある。
これがイランらしさであり、抗議や暴動で体制が崩壊することを避けてきた、絶妙のバランス感覚なのかもしれない。
なんとたったの4時間半でエスファハンに到着する頃には、雨はすっかり上がっていた。
まったくツイている。
出発日に自転車で転倒して肋骨を折り、悪いほうの運を使い果たしてきたおかげだろう。
荷物を預けたこの日の宿泊ホテル、“Abbasi”は、街で最高級のホテル。
かつて、隣接する神学校の財源確保のために、隊商宿として栄えた場所だそうだ。
フロントの女性はおそろしく美人で、預けたパスポートの「JAPAN」の文字を見ていっそう笑顔が弾ける。
瀟洒な中庭にはバラがセンス良く植えつけられ、噴水の水線が昼の光を受けて輝く。
中東でも有数の観光地であるはずのエスファハンにはしかし、外国人が非常に少ないようだ。
道行く人々の国籍はわたしには分からないが、観光地特有のからりとした浮かれた空気が無いのだ。
現地で手配してくれていたガイド兼ドライバーと合流。
「遅れてスマン、でも午後からだって聞いてたんだ。だから、午後着くって。今日の午後…」
としつこく「afternoon」を繰り返す彼に、スレているわたしは11時を指している時計を見ながら
「これ、1時間ぶん別途料金取るぞってパターンか?」などと身構える(そんなことはなかった)。
行きたい場所はすでに伝えてあるので、特に何も考えずにぼけーっとしていたところ、
彼には彼の正義があるらしく、なぜかアルメニア人教会に真っ先に連れて行かれた。
なぜかイランで、しかも、国内一といってもいい観光地のエスファハンで、
ギリシア正教会に連れて行かれるというこの違和感。
しかし詳細に説明をしてくれ、彼が「英語の喋れるドライバー」ではなく「運転ができるガイド」であることを知る。ちなみにポール・マッカートニーにそこはかとなく似ているということで、我々は彼のことを「ポール」と呼ぶことにした。
彼とは、今回の旅の行程の約半分、テヘラン以外のほぼ全てをご一緒することになる。
(アルメニア人教会=ギリシア正教会。mixed cultureなのでモスクに似た形のドームが特徴。)
(超美人の店員さんと、この付近アルメニア人居住区にあった瀟洒なエルメスのショップ。)
次に向かったのはイマーム広場。エスファハン観光のハイライトだ。
中庭は、かつての宮殿、バザール、王の居住区、モスクに四方を囲まれる形になっている。
これは、政治、経済、王室、宗教が一堂に会しているさまを表したものなのだという。
確かにこのような4つの要素が1箇所に、しかも序列をつけることなくフラットに存在している光景は稀だろう。
金曜日はイスラム教徒の休息日のため、敬虔な信者はモスクに集ってお祈りをする。
そのため、モスクなどの中の観光はあきらめていたのだが、その代わり、
チャードルを着た敬虔なイスラム教徒の人々の大群が見られた。
特にテヘランは近代化の一途を辿っているので、このような光景はなかなか見られない。
かつての宮殿では選挙も行われており、まさに今昔入り乱れる多様なイランをいっぺんに見た。
「あと15分したらモスクに入れるようになる。それまで私のペルシア絨毯屋に来い。」
そう売り込みをかけられたのはこのときだ。
スレている…というか、世界各地でおおごとはないものの色々と小さな痛い目に遭っているわたしでなくともこの台詞はあやしい。あやし過ぎる。
しかし、こういうのに乗ってみるのも、面白い事が起きることも知っている。
「行ってもいいけど、買わないよ!」と毅然と最初に宣言し、敵地に赴いたわけだが、
過度な売り込みも無く、絨毯の説明をしてくれてお茶まで出してくれた。
(ただし、15分後にモスクが開くことはなかった。)
なんというか、困っていないというか、手段を選ばない生きる必死さがないというか。
もちろんたった数日の滞在ではなにもわからないし、表の顔はだれにでもどこにでもあるものだが、なんだか私はこの国とこの国の人々を、「豊か」というか、もっと言うのであれば
「…実は、金 持ってる…?」と思い始めたのである。
つづく