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皆さん、おはようございます。
弘法大師空海は讃岐の、現在の善通寺市に、
不空三蔵の生まれ変わりとして生まれ・・・
というのが従来の説でした。
大師信仰者やお大師さんファンの発想は、
概ねその説を起点にして出来上がっているといって
間違いはないと思います。
私も元来はその説を、普通に伝記の冒頭部分として
受け入れてきました。
しかし、近年では、特に学問研究の世界においては、
大師の生誕地は畿内である、という説が主流になりつつあります。
畿内というのは、大阪府、京都府、奈良県あたりが範囲です。
マイミクさんのつぶやきや日記で私はちょっと衝撃だったのですが、
お遍路さんにとってはこれは由々しきことなのですね。
そのマイミクさんは遍路先達でもある真言宗僧侶の方です。
高野山大学大学院のレポートとして、
畿内誕生説の先鋒たる武内孝善教授の課題に、
ようやく取り組めた、という内容だったのですが、
これまで取り組めなかった理由が、
課題内容が畿内誕生説に関わるものだったから、というものでした。
およそ遍路というものは、
大師と四国のいくつかの接点が基礎となって成立しています。
それは学問的な接点のみならず、
伝説、心情の面における接点も含んでいます。
おそらくその第一は、四国讃岐が生誕地であること。
生誕地とされるところにあるのが、
真言宗善通寺派本山の善通寺で、
近くには捨身伝説のある「我拝師山」もあります。
そこを通るたび、「ああ、ここがお大師さんの・・」
と感慨を深くするのでしょう。(これは私も経験済みです)
他には満濃池修築の話や、
四国遍路のきっかけとなる伝説もあります。
しかし、おそらく日本人の感性に訴えかけてくるところは、
やはり善通寺、つまり生誕地なのでしょうね。
これが覆されるということは、
おそらくは遍路の回数が多ければ多いほど、
歩んできた道程、人生を否定されるようなことになるのでしょう。
善通寺に達するたびに抱いてきた感慨が否定されるわけですから。
しかし件のマイミクさん、学べば学ぶほど
畿内説を納得していったそうです。
けれども心がどうしてもウンと言ってくれない。
これが「信仰」というものの側面です。
私はこのマイミクさんの信仰を否定するつもりはありません。
ただし、自分はそういう信仰をすることはないし、
自分がそういう信仰をすることは厳に戒めるところです。
私にとってお大師さんは密教という世界を提示してくれた人です。
修道していけるようなシステムの基礎を作ってくれた人です。
それ以上でもそれ以下でもありません。
ですから、子供の頃の大師、即ち真魚君は、
私に言わせれば、どんな能力の持ち主であれ、ただのガキんちょです。
どんな高僧の生まれ変わりであろうと同じ事です。
なぜなら、私たちだって誰かの生まれ変わりであり、
その前世が高僧の誰かだった可能性はあるのですから、
その我々の子供時代がガキんちょなら、
大師の子供時代も等しくガキんちょです。
ですから、私にとって四国が大師との関わりで重要なのは、
満濃池のような、後年の事業、事績なのであって、
生誕地は「ああ、そうですか」の対象、
つまり、畿内が生誕地なのだ、と言われたら、
それもまた「そうですか」なのです。
私は真言宗の坊主ですが、
それは、弘法大師空海の弟子筋なのであって、
大師を絶対視する人間、大師信者ではありません。
強要するわけではありませんが、
いやしくも自ら仏教徒をもって任じるのであれば、
そういう自覚を持っていただきたいものだと思います。
法、ダルマとはそういうものなのです。
大事な部分は法にあるのであり、
場所にも、物にもないのですから。
まあ、生まれや血筋に目が行ってしまうのは、
日本人の習性みたいですから、
ある程度はやむを得ないかもしれませんけどね。(笑)