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※今回の記事で紹介する施設は全て、軍事的・宗教的な色合いが非常に濃い施設です。
また、世界の多くの国では、鉄道駅も準軍事施設と考えられています。
思わぬトラブルに発展する可能性がありますので、楽しく安全な旅行の為
立ち入りや写真撮影に関しては逐一、許可を得るようにして下さい。(筆者)
地球の舳先から vol.243
イラン編 vol.3
さて、我々は無事にテヘラン市街地へと到着。
重い鉄の扉をくぐり、超高級住宅のM氏の豪邸に1泊、居候する。
しかし上には上があるのが世の常で、ここテヘランには
「部屋」の前まで車で行ける「マンション」があるという…
初日は軽くテヘランを流して観光…というのが通常コースなのだが、
現地駐在の友人M氏にリクエストして、テヘラン・ミリタリー・ツアーを組んでもらった。
まずは、89年に亡くなったイスラム革命の指導者アヤトラ・ホメイニ師を埋葬した聖廟へ。
ホメイニ師が眠るお墓はモスクの中でガラス張りになっており、隙間から人々がお金を入れる。
このお金で、こちらのモスクの改修を行っているということだった。
異教徒なので中に入ることは最初から考えていなかったのだが、
バシジ(民兵)に付き添われ、厳重な金属探知機のゲートをくぐって
中へ入ることが実現したばかりか、写真を撮ってもよいといわれ、さすがに驚く。
暗めの室内を進むと、お祈りに来ていた人達が場所をあけてくれた。
…と、かなり親切にしていただいたのだが、異教徒の聖地に立ち入るという行為が
わたしはいつもなんだか居心地が悪くて、短時間で出てきた。
外へ出てモスクの大きさに再び目を瞠る。
その後は、89年から現在に至るまでイランの最高指導者であるハメネイ師の家へ。
家といっても本人が住んでいるわけで、警備は厳重という言葉では言い表せないほど。
テヘランを知り尽くしたドライバー(日本語ペラペラ)も、ここはさすがに通り過ぎるだけ。
あのなかで、中東が動いているのだな、と思うと、なんだか末恐ろしい。
道を1本それると、今は建物だけが残る米国大使館。
ここが、79年、カーター大統領時代にアメリカ大使館人質事件が起こり
その解決に444日をも要した場所である。
この人質事件を描いたドキュメンタリー『ホメイニ師の賓客』を思い出しながら
自由の女神を骸骨に見立てた極彩色の看板を見上げる。
別の角には、「アメリカに死を」のスローガン 。
このような極端なスローガンは、今はもう、最高指導者の意向で使われていないのだが、
いまだに欧米メディアは、イラン問題の報道の際に、20年以上前に書かれたこの落書きを
持ち出しては「反米・暴力的・過激」のイメージを喚起するのだという。
1ブロック先の英国大使館も、昨年12月に閉鎖され、職員は国外に退避している。
高架の道路を走っていると、
壁一面を使って「DOWN with the USA」と描いたビルが現れた。
写真を撮りそこねたので、ネットで見つけたある方の旅行記で。
http://homepage2.nifty.com/hashim/iran/tehran/tehran003.html
その他にも、イランの大きな建物には巨大な壁画が多く描かれている。
こういうところはキューバと似ているな、とふと思った。
人々は、といえば、敬虔で厳格なイスラム教徒…を想像していたら、大違い。
スカーフも、かぶっていない人はいないが(宗教警察がパトロールしているらしい)、
頭の後ろのおだんごに引っかけただけという人も多く、
むしろ制限の中でのオシャレアイテムとしていかに活用するか、といった様相。
我々も、大きめのスカーフを用意してのぞんだのだが、
同行したちえさんはとある店で、「そんなに目深にかぶったらアフガン人みたいよ」
と言われ、スカーフを直されたという…。
その後、郊外にある軍事博物館へ。
最近は閉まっている事が多いらしく、この日も屋外しか見学できず。
しかし屋外にも、シャー(イスラム革命以前のイランの王様)が乗っていたというロールスロイスや、イラン・イラク戦争でイラクから奪取したヘリコプター敵機など、非常に興味深いものが陳列されていてわたしはコーフンする。
同じ屋外に置いてあるものでも、写真を撮っていいものといけないものがあるらしく、
近づくと止められるところもあった。
(左:白い建物が軍事博物館。中庭にも展示物多数。 右:イラク敵機)
「あの、ワタシは、そこの撮っちゃダメな飛行機じゃなくて、革命防衛隊と写真が撮りたいんですけども」…とM氏に言うと、さっそく警備にあたっている若者に声をかけてくれた。
革命防衛隊は、ものすごい照れながら了承してくれた。みんなで記念撮影。
M氏は、日本人だというと肩まで組んでもらっていた。(尊敬の証らしい。)
軍事博物館は、サーダーバードという割とポピュラーな観光地の敷地内にある。
サーダーバードはパーラビ家の夏の別荘地で、いわゆる「離宮」だったところである。
広大な敷地は白樺と緑で覆われ、時間も場所も忘れそうになる空間。
ここでしばし充電をし、たいして距離は無いのに殺人的大渋滞のおかげで
ちょっとの移動でもとても時間のかかるテヘラン市中心部へと戻る。
夜は、M氏のお誕生日会を兼ねて、駐在の日本人の皆さんとご一緒し
わたしたちまで、「ようこそテヘランへ」のケーキを頂いてしまった。
(左:イランケーキ。メッセージが読めない…汗。 右:M氏の豪邸から、テヘラン市の景色)
つづく