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2012/06/25

京都市内には、いくつか院内病院があります。それは、正式な公立の学校なんですよ。
病気の子ども達が学ぶ権利を確保するためには、どうしも学校が必要です。

ご縁がなくて今まで遠くからしか、様子を伺うことしかできませんでしたが、
このたび、正式に校長先生から許可を得て見学させて頂くことができました。
プライバシー保護の観点から詳細な報告はできませんが、院内学級の存在の意味などを考えて行ければと思います。

京都大学病院の院内学級は、1999年の設立です。正式には、「京都市立桃陽総合支援学校 京大病院分教室」となります。
児童数は、10~15名です。(小中あわせて)先生方は児童数の割には多く配置されていますが、そのわけはのちほど。公の学校ですから、正式な手続きを踏む必要がありますが、入学(転校)が認められれば、誰でも安心して授業をうけることができます。
体調の悪いときでも、ベッドサイドに先生がタブレットパソコンを用意して、(1対1で)傍に寄り添うスタイルで授業が行われます。
そうなると、どうしても先生の人数はある程度確保する必要があります。生徒さんはみんな高い学習意欲で、先生は指導に自然と熱が入るようです。お逢いした先生方の笑顔がとても素敵でした。やりがいを感じておられる証拠ではないでしょうか。

院内学級ができるまでは、本当に長い道のりでした。院内学級というのは、通称にあたるはずです。すべての学校は「学校教育法」と言う法律の下、いくつかのカテゴリーに分かれています。院内学級は、障害児カテゴリーの「病弱児」の子ども達が学ぶ場ということになります。設置には京都市だけではなく教育委員会と病院側の協力が不可欠です。長い時間がかかりましたが、最後はその熱意が上回ったのでしょう、少しずつではありますが、あちこちの大型病院には院内学級が設置されるようになりました。

話は少し逸れますが、日本では「病気(障害、介護)で付き添いが必要な状況の家は、苦労するのが当たり前」と言う風潮がながらくありました。戦後のベビーブーム(団塊の世代)の際も、健康な子ども達の学校はどんどんできましたが、障害をもっている子どもたちはどこにも行くところがありませんでした。そこで、障害児の親が集まり、あちこちに障害をもっている子どもでも通える施設ができました。しかし、財政的には不安定で、政府に何度も公的な支援を呼びかけましたがなかなかうまく行きませんでした。そうした中、1970年代に入り、各地で革新系の知事が生まれ、今の「特別支援学校」の基礎になる学校が公に整備され始めました。(この話をすると滅茶苦茶長くなるのでここまでとします。)もし、宜しければ、「どんぐりの家」(山本おさむ作)をご一読ください。

設置には長い年月はかかりましたが、立派な院内学級の様子を拝見させて頂き感じたことは、院内学級の存在がどんなに大きな勇気を与えているかということです。病気になると子どもだけではなく、その両親も大きな孤独感や恐怖心さえ湧いてきます。そんな時に、当たり前に用意されていた「学ぶ権利」さえ確保できないとなると、頭が真っ白になってしまいます。また、長期の入院生活になりますと、勉学に遅れが出ることと同時に、変わり映えしない毎日に、退屈で仕方がないときがあります。そんなときに学校があれば、どんなに子どもたちの気分転換が図られることでしょうか。子どもの笑顔は付き添いの親のエネルギーに変わります。そう、院内学級は単に学習の遅れを取り戻す場ではなく、生きて行くために大切な笑顔や学友との友情そして親と子の絆を確かめ合う場でもあるのです。

京都大学病院から2km北にある私の娘が通う中学校の保護者としても、院内学級があることはとても大きな意味があります。それは、もし我が子が病気になっても京都市は「子どもの学ぶ権利」を行使するための支援を惜しまないという宣言でもあるのです。行政と市民が一体になり、それを支える財政的な裏づけがあれば、多くの社会的問題は解決に向うスタートラインには立てるはずです。

京都一小さな学校は、京都市民と病気で困難な状況にある子どもや親にとっても勇気がでる大きな器のある学校でした。

 

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2012/06/25 10:51 | hamamoto | No Comments