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ぼくがもっとも影響を受けたアーティストは、やっぱりなんやかんやといいつつ、ユーミンなんですよね。
って、ぼくが誰から影響を受けようが、それ以前にぼく自身、あんた誰ですか?って話ですけどね…。
って、まあ、それはそれとして、続けさせていただきますね。
さて。
荒井由実のデビューが72年7月、1stシングル『返事はいらない』。
1stアルバムの発売が73年11月、『ひこうき雲』。
ちなみにぼくは、66年生まれです。
ユーミンのデビューの頃をリアルタイムで覚えてはいません。ラジオとかで流れていたのを耳にしたこともあったのかもしれませんが、覚えていません。
そして、75年10月発売のシングル『あの日にかえりたい』が大ヒット。
この頃ぼくは、概ね小学校2年生。しかし、この曲に関してだけ、リアルタイムで聴いていました。
親父のクルマに積まれていた8トラのテープの中に1本、多分『魅惑のニューミュージック』的なタイトルのものがありまして(多分、4曲入りくらいのテープ)。
家族でドライブに行くときは、こればかりをかけてもらっていて、その中で『あの日にかえりたい』が一番好きでした。他の曲はまったく覚えていません。
つーか、親父のクルマに積まれていた音楽テープ、他はすべて「ぴんから兄弟」、もしくは「ぴんからトリオ」でした…。
って、「ぴんからトリオ」。なんなんでしょう、このネーミングの秀逸さ…。
で。
ぼくが本当の意味でリアルタイムでユーミンを聴くようになったのは、81年6月発売の17枚目のシングル『守ってあげたい』、同年11月発売の12枚目のオリジナルアルバム『昨晩お会いしましょう』あたりからです。
シングル『守ってあげたい』は、角川映画『ねらわれた学園』(主演・薬師丸ひろ子)の主題歌として大ヒット。
このヒット、ユーミンの第二次ブーム、とされているようですね。
81年というと、ぼくは中学3年生です。
丁度そのころ、やっと我が家にもレコードプレーヤーが導入され(ぼくが頼み込んで、簡易的なやつをやっと買ってもらえたんですよ…。びんぼくさっ…)。
それから高校3年生くらいまでの間に、それ以前のアルバムを、お小遣いを貯めては買い(びんぼくさっ)、静岡にコンサートツアーが来ると、毎回(年に1回)、行きました(男友達とふたりで)。
『昨晩お会いしましょう』以後のアルバムでは、82年『PEARL PIERCE』、83年『REINCARNATION』、84年『VOYAGER』、85年『NO SIDE』までは買いました。
ぼくにとっての最後のユーミン『NO SIDE』のとき、ぼくは大学1年生でした。
そのころぼくは大学でジャズ研に入り、急激にジャズばかりを聴くようになって、日本のポップスにも歌謡曲にも関心が薄まっていたころで、自然とユーミンからも卒業してしまった感じです。
で、20代中盤くらいからはブラジルの音楽を聴きあさるようになり、今に至ります(あっさり今に至り過ぎちゃいましたが…)。
といいつつ、大人になってからも、なんやかんや、85年以前のユーミンを、戻っては聴いていたように思います。
特に好きなのは、荒井由実時代です。
サウンド、メロ、詞、すべてがシンプルで、しかしある意味尖っていて、今聴いても、ぼくにとっては全然古くなく…。
『卒業写真』の鈴木茂のギターソロに至っては、ベスト・マイフェイバリット・ギターソロ、であり続けています。今でも。
ところでよくよく考えると…。
小・中・高・大、この中でいつの時代が一番楽しかったか、と言われたら、迷わず大学時代、と答えます。
あの自由さは、かけがえがなかったです。
逆に、中・高のころにはそれほど思い出もないし、暗く暮らしていたような気もします。
でも、今になってハタと考えると…。
中・高の頃に聴いていた音楽が、とりわけユーミンが、ぼくの感性にすごく影響を与えていることに気が付いたんです。
…。
うっわ〜。ここで終わりかい…。
ユーミンの何がいいのか、時間があるときにまた、ときどき綴らせてください。
ところで、そろそろ梅雨入りですね。
そんな季節になると『雨のステイション』が聴きたくなります。この曲もギターが鈴木茂です。
そんなこんなで、ぼくは今日もラッパを吹いて暮らしています。