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皆さん、おはようございます。
戒名不要論を唱える人が結構な数いらっしゃるそうです。
しかしながら、ちょっと待て!
戒名がいるかいらないか、という議論は、
戒名の何たるかをまず押さえていない人にはする資格がない、
そこんところを考えたことがおありでしょうか?
以下の要件をまずはごらんあれ。
1:釈迦の説いた悟りへの道を信じられること
2:死んでからであれ、その道を歩みたいと思うこと
3:そのために戒を授けられるという意識があること
これらの要件に対し、戒を授け、
戒とともに授けられるのが戒名というものである。
つまりは、死後ではあるが、出家させた僧名ということである。
また、2の背景には、死後の意識の存在を信じていること、
という前提条件がある。
この知識があって初めて、
戒名がいるかいらないか、を論じる資格が出来る。
この知識なしに何を論じても、見当はずれな話しか出来ないので、
書くだけ、喋るだけ無駄というもの。
さて、ここからが要不要の話になるわけですが、
上記の要件1を信じていないならば、
戒名はおろか、葬式さえもする必要はないと。
ま、周囲への体裁に、儀式をやりたいのであれば、
相応の出演料さえいただければ、
こちらはいくらでも役者として出向きましょう。
立派な戒名もつけてあげましょう。
戒名料?手間賃ってもんでしょ、それは。(笑)
それだけの話なので、お布施がどうと、文句垂れる方が失礼なのです。
そもそも、「お布施」じゃないですから、そんなもんは。
さて、要件1を信じられても、
2や3が自分には不必要と思えばそれまで。
まあ、あの世への送り出し役としてお呼び下さい。
死後の世界が信じられないなら、
1を信じない人と同じことです。
別に葬式しなくてもいいでしょう。
体裁でやりたいのなら・・・以下同文。
1から3までご納得いただけましたら・・・
派遣会社を通していない話である限り、
お布施は任意で結構でございます。
出来たら交通費だけはご負担いただけたらと。
喜んで、当然のように戒名もおつけしましょう。
もちろんどんなに立派な字数の多い戒名でも、
戒名料なんていただく気はございません。
これが日本の葬式坊主本来の役割です。
私はこのあたりのこと、
ちゃんと説明してお葬式はすることにしています。
先に述べたように、
派遣会社からの葬式でお布施がタダってわけにはいかないし、
戒名料をいらない、というわけにもいきませんけどね。
さあ、あなたはどういう世界観をお持ちですか?