« | Home | »

2012/03/28

 

人生はいつだって、

思いもよらない方向に転がり出すものさ、

人生はいつだってひにくなものさ、

だから人生は面白いのさ、

いつの日か総てが過ぎ去った時に、

その面白さに気が付いたら、

きっと人生は楽しく見えるものさ、

 

老人は満足げに席に着いた、

今はほとんど見る事が無くなったオーバーオールに、

ベージュ色のダッフルコート、

シルバーのリングの付いたレーバン風のサングラス、

そしてよれよれの黒色のソフト帽、

一言囁いてからバーボンを口に含み、

そして身体中の細胞の隅々までバーボンを行き渡らせていた、

老人がなんて囁いたかは聞こえなかった、

そして誰かに囁いたのか、

それとも自分に向かって囁いたのか、

それすら感じ取る事が出来ない程、

老人は自分だけの世界に生きているようだった、

瞳は白く膜がかかり宙を彷徨っていた、

 

確かあれは焼けるような何も無い砂漠を走っていた時のこと、

目に出来るものはサボテンだけの砂漠の中、

ブルーの給水塔には白い文字で”ILLUSION”と書かれていた、

今にも風で吹き飛ばれそうなガソリンスタンド、

砂埃を巻き上げながらスタンドに入ると、

何十年も前からロッキングチェアーに揺られて生きて来たかのように、

今ではサボテンの風景の一部になってしまった老人が、

カーボーイハットを深々ととかぶっている、

車のドアを閉めてボディーにびっしり付いた砂を人差し指でなぞると、

老人は何も言わずにゆっくりと椅子から立ち上がると、

私の方に歩み寄って来た、

慣れた手つきで私の車のガソリンキャップを外し、

ガソリンを入れながら老人が口を開く、

『おまえさんどこから来たんだ』

私は何日かぶりにまともな人間と話が出来るのかと思うと妙に嬉しかった、

砂漠の乾ききった風を吸い込みながら声を出してみた、

『東の方からさ』

『ホゥ、俺は行った事が無いけどそこは良いとこか』

『良い所だよ、海は青くて緑が多くてこの砂漠と比べたら天国さ』

『ホゥ、そりゃ良いや、

おまえさんが言うようにここには砂漠しかないからな、

ところでおまえさんどこまで行くんだ』

『東に行くのさ』

『ホゥ、俺は行った事がないけどそこは良い所なのか』

『良い所だよ、誰もが夢を叶える為に集まって来るんだ』

『ホゥ、それは良いや、

おまえさんそこでおまえさんの夢とやらを叶えに行くのか」

『そうさ、これから俺は東に行って夢を叶え俺の人生をもっと良くしようと思ってんのさ』

『ホゥ、それは良いや、

俺はこの砂漠の街で生まれて蛇とコヨーテと遊んで育った、

それでも若い頃はここが°どうしてもいやでな、

何度もここから出てやろうと思ったけど駄目だったよ、

俺は隣の洲に行った事もこの街すら出た事がねえんだ、

ホゥ、それはおまえさん凄いな』

『おじいさんも行きたかったら俺の車に乗って行くかい、

どうせ俺一人で退屈で退屈で死にそうだったとこなんだ』

『俺か、俺はここで十分幸せさ、

贅沢さえ言わなければ食うに困らないし、

時折顔を見せるコヨーテさえ今じゃ俺の友達さ、

こないだなんか孫どもが遊びに来てくれて、

ほら、あそこの給水塔を直してくれたのさ、

そしたら孫達ときたら、

俺の事を現実離れした生活もいいかげんにした方がいいよ、

なんてぬかすから、

これが俺の人生さって言ってやったんだ、

そしたら孫達ときたら、

給水塔に“ILLUSION”て白いペンキで書きやがった、

まったく今の若い奴らは何を考えてんのか分かりゃしないよ、

それでも孫達のおかげで、

これから水の心配もする事は無くなったのさ、

何たって俺は何にも縛られない自由が好きなんだよ、

幸福と言う罠にはまってただ生きるだけの退屈な人生の奴隷に、

ならなくてすんでるよ、

それに退屈で退屈で死にそうなおまえさんと一緒に車で旅したら、

俺まで退屈な人生になっちまわないか、

おまえさんの人生はおまえさんのものだ、

おまえさんの好きなように生きればいいや、

誰も文句言う奴もいないさ』

バッキミラーを覗き込むと、

老人は何事も無かったかのようにロッキングチェアーに揺れていた、

そして何も無い砂漠のサボテンと話をしていた、

又一台車がスタンドにはいって行った、

老人は先程と同じようにドライバーに話しかけていた、

『おまえさん、どこから来たんだ、

おまえさん、どこに行くんだ、

ホゥ、そりゃ凄いな』

老人は砂漠の中のロッキングチェアーに揺れながら、

まるで長い旅をしているように見えた。

 

古びた照明が天上に光の影を映す、

ここでは空気は止まり時間もいつからか止まっていた、

隣のテーブルでは何年も前から時間を持て余している若い男女が4人、

スポットライトはテーブルのセンターだけに当たり、

以前に誰かこのテーブルにいた客が爪で悪戯書きした深い溝を、

浮き上がらせるように照らしている、

若い男女はスポットライトの外にいる為、

誰の顔も皆ぼやけて見る事が出来ない、

嬉しいのか悲しいのか表情を読み取る事すら出来なかった、

一人の女性がタバコの煙を吐き捨てるように、

『あんたいったい何探してるのよ、

あんたいったい誰に会おうとしているのよ、

何年も前から同じ事言ってるけど何も変わらないじゃない、

誰々がこんな事したとか、

あいつは変な奴だとか、

あなたたまには自分の事言ってみたらどうなのさ、

あんたの夢はどこに捨てて来たって言うのよ、

何でも誰かのせいにして、

俺は運が悪かったとか言ってさ、

バカみたい』

周りを見回すと誰もが壁に向かって一人で座り壁を見ている、

まるで女性が言った言葉が自分に向けられている言葉のように、

そしてここにいる理由を懸命に思い出そうとしている、

皆、どこにも無いものを、

どこにでも有るものを、

誰かを、

誰でもない誰かを、

追いかけようとしているのか、

逃げようとしているのか、

夢さえ持っていた事すら今では分からなくなっていた、

確かにここに来る前は何かを追いかけていたはず、

青い空の中をどこまでも飛べると思っていた、

ただここに来てからは、

ここが夢の中なのか闇の中なのか今はもう分からない、

イランイランのエキゾチックな濃厚な甘い香りが、

庭の方から風に漂い通リ過ぎる、

どこからともなく若い女性が、

シルバーのピンヒールを履いて止まった時間を通り過ぎ、

何かが起こる事を夢見て歩き回る、

男どもはその香りに救われたように誰もがここにいることに安心させられた、

それでもここに来るまで何をしていたのか誰も思い出せない、

ここに何しに来たかも誰も思い出せない、

ここを出る時も誰もどこに行くのか聞かない、

ここでは甘い香りと時間だけが通り過ぎるだけ、

誰にも気付かれないように人生だけが通リ過ぎる、

誰もが耐えられない人生から逃れる為に、

孤独の中にいるはずの純粋な自分と会う事さえ誰もが避けて、

ここは誰の人生でも甘い香りで包み込んでくれる素敵な場所、

素敵な人生を送る夢を見させてくれる場所、

 

『私、疲れるとまったく喋らなくなるの』

隣でホットパンツから細くて奇麗な足を投げ出した女性が囁く、

『私、なるべくそう言う事から避けて来たから、

出来るだけ目立たないようにしていたし、

皆から可愛がられるようにしているの』

壁にはクロームメッキの金属が今を迷わすように流れる、

床にはサンタフェ風のテラコッタが誰もを癒そうとしている、

空は蒼く光の入らない誰もが居心地の良い場所、

『何かつまんないよねこんなの、

何かしたいよね、

私、昔もそんな事考えていた気がしているの、

でも、面倒くさくから普通でいいじゃない』

編み上げの黒いブーツを履いた足の細い女が口を出す、

『だって嫌いな事しなくたっていいじゃない、

面倒くさいから普通でいいの、

好きな事して毎日を送りたいよね、

でも、何か変えたいんだよね』

ここに昔からいる若い男が吐き捨てるように、

『俺もそんな感じかな、

でも、俺はこのままでいいや、

俺さ、人と関わるのがうざったくてしょうがねえんだよ』

『あんたバカじゃないの、

あんたツイッターでいつも誰かと会話してるじゃない』

『ああ、あれね,

ツイッターやってる時は俺じゃないんだ、

最近じゃツイッターにいちいち反応している自分が、

嫌になる時があるんだ、

それでも人と繋がりたくって、

自分がいなくなりそうで止められないんだよね

俺、このままでいいや、

俺、ヤバイかな、

このままじゃ普通になっちゃいそうだ、

何か変えたいな、

誰か俺を変えてくれないかな』

ここでは誰もが逃げる事をしなくても、

何かを追いかける事をしなくても、

ただ時間だけが気付かれないように通り過ぎ、

この場所を出ても誰もここにいた事さえ気付かなくなる、

ここにいた思い出も蘇る事の無い場所、

 

『誰か私を見て』

『誰か私に話しかけて』

本音とは裏腹で一言も口にする者もいない、

『ここに集まれば誰とでも繋がると聞いて来たのに、

何で誰も私に話しかけてくれないの、

ここに来れば夢が叶えられると聞いていたのに、

なんで誰も教えてくれないの』

ボーイがサラサラの髪の毛を撫でながら、

スマホの画面に食い入るように見つめる女性のグラスに、

体温と同じくらい暖かい真っ赤なワインを注ぎながら、

そっと耳元に顔を近ずけながら、

『ここはあなたの望んだ所です、

誰もここに入る事は出来ませんよ、

赤ワインを飲みながらゆっくり御過ごし下さい、

決して何も考えないで下さい、

ただあなたの時間が過ぎ去るのをゆっくり見ていて下さい、

決してあなたの人生に口を出したり手を出したりしないで下さい、

ここはあなたにとってとても居心地の良い場所、

宇宙の中であなたが一番安心できる場所、

ここで見える物は幻だなんて思わないで下さい、

総ては幻と言う事に気が付いてしまいますから、

それではごゆっくり』

誰もがボーイと女性の会話に耳をそばだてている、

ここでは総ての声は心地良く、

小鳥のさえずりのように、

風の中に消えていく居心地の良い場所、

 

老人の方をちらっと見ると、

彼はバーボンの入ったグラスを持ったまま話しかけて来た、

『おまえさんまだ夢を持っているようだな、

ここではおまえさんの夢は必要ないのさ、

おまえさんに夢を見させるのはこの俺の役目なんだよ、

よく考えると俺もおまえさんのような時があったな、

今じゃ毎日ここにいる皆に夢を見させているのさ、

皆が求めている夢とはちょっと違うけど、

それでも皆満足してくれているよ、

もちろん俺も満足してるよ、

夢をつかみ取ろうとすると夢を見るのとではまったく違うからな、

又、いつの日か俺も夢に向かってみようかと思っているけど、

今では皆に夢を見させるのが好きになってしまったよ』

『ところでおまえさん何処から来たんだ』

『西の方からさ』

『ホゥ、俺は行った事が無いけどそこは良い所なのか』

『とても良い所だった気がするけど今ではほとんど忘れてしまったよ』

『ホゥ、そんな昔の事なのか、

ところでおまえさん、どこへ行くんだ』

『ここに来るまでは覚えていなんだけど、

ここに長くいすぎたせいで何処に向かおうとしていたのか、

今ではほとんど忘れてしまったよ』

『ホゥ、そうか

おまえさん何か夢があるのかな』

『昔は夢を持っていた気もするけれど、

今ではあまりよく思い出せないんだよ、

俺さ、月々のカードの支払いや住宅ローンの支払いがあるだろ、

それに妻からは子供の将来設計を考えると無駄使いしないようにって、

いつも言われっぱなしさ、

夢か、昔持っていたような気もするな』

 

陽が昇り、

私のテーブルを昨夜の老人が通りかかり、

私に軽くウインクをする、

彼の後姿を見つめているとシルバーのピンヒールを履いた、

奇麗な女性に変わっていった、

テラスではイランイランのエキゾチックな濃厚な甘い香りを、

風が忙しそうに後かたずけをしている、

朝陽は軽やかに庭の花の間を飛び回っている、

テーブルには見た事も無い奇麗な花を昨夜のボーイが運んで来た、

『昨夜は素晴らしい時間を過ごせましたか、

いつまでもここにいてかまいませんよ、

ここにいる皆さんは皆夢の途中のここに立ち寄られた人達、

中には目的地もも忘れるほど長く滞在しております、

ここでは誰もあなたがここにいる事に気付きませんから、

もし宜しかったらずっとここにいらして下さい』

『ちょっと教えてほしいんですが、今は春なんですか』

『今ですか、今はまだ花が咲くには寒すぎる季節です、

ああ、そう言えば昨夜は大雪が降りましたよ、

あなたは何も心配しないでここにいるだけで、

素晴らしい人生を過ごせるはずですよ』

『それでは素晴らしい人生を』

朝陽が花の間を飛び回る庭を見ながら、

昔砂漠で老人に会った記憶が、

だんだん頭の中から遠ざかって行くのが分かった、

今では老人が言っていた言葉の意味すら、

分からなくなって来た、

 

『ホゥ、おまえさん夢を探しに行くのか、

そりゃ凄いや!!』

2012/03/28 08:09 | watanabe | No Comments