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気が付かないうちに
データ化されているもの
データ化されていないもの
この不具合は いつか困った事に
なりそうな感じがする
各国の貿易事情を変えていこうと
FTAとか TPP交渉が 続いていきます
これから 私たちの歴史の中で 民間伝承や子供が主体の地元の祭や儀式
そういう一番はかない状況にある 子供の発育とか
地元の人との 交流など
そこに住んでいて その土地を維持し 水場や 日当たり 風の流れまで考えた 家々を
ただ 黙々と 生きていく事で 続けている人たちがいるのです
都市部に生きていると
地方の本当の声は 一般の人の場合を考えてみても
もしかしたら 一生 関わり無いものなのかもしれません…
私は東京生まれだし 育ちも37年間ずっと豊島区民で
結婚して愛媛県内子町大瀬の里山生活をして9年目で
仕事がコマの曲芸師で 各地を訪れる機会が多いから
都市部と地方の良さを 色々考える事が多いです
純愛媛県人の亭主が話す山間の人の暮らしの様子など
「ちょっと待ってよ」と言いたくなるくらい
おおよそ百年近く 考え方が変わっていないということ
よくよく 尾根尾根に立ち並ぶ家並みを見てみれば
滅多やたらと騒がしくする事は無く
普段どおり 毎日の農作業をしている風景が 寄り添っている
百年前くらいの蔵が 崩れかかって斜めになっていても
他人に迷惑がかからないなら そのままにしておき
近くに使いやすい小屋を作って使う
本当に崩れて倒れた時を見計らって 近所から小さなユンボ(ショベルカー)で
独りでもできる 取り壊し作業をする
たぶん 重機は 無かったとしても 別に急ぐわけでもなし
手作業で 片付けていく
亭主が買い取った 今の大瀬の大きな農家本家さんにも 蔵が三つあって
全部倒れていて そこにそのまま 取り壊して埋めていた
ちょっと見て考えても 山の上なのに
家を作ったのは江戸時代 もしかしたらそれ以前の室町期までさかのぼれる地域
石垣の石をどこから こんなにたくさん人力で運んだのか
近くには石灰の鉱脈があり 町並みの白壁の漆喰の多さは ここから来る事を知った
石灰岩だから あまり農作物には向かない
石灰の石の間を川が流れる風景は
真っ白な石に真っ青な水の色が 夢のように美しいけれど
そこに 魚は一匹も泳いでいない
そう きれいすぎると そういうことになる
私も きれいすぎなくて良かったナ
私が知る限り 石灰岩の山で取れた竹の子は 旨くないのだ
我が家の竹の山が 石灰の山でなくて良かったナ
石灰は 近代ではコンクリートとして利用されているから
必ず 地元にはコンクリートの会社がある
埼玉県秩父の武甲山は おかげで縄文時代の信仰遺跡や
数多くあったという巨岩も すっかり無くなってしまった
内子の石灰は たくさん掘れない山で良かったナ
先日 亭主の情報で 数キロ離れた山地に 展望台を作っている人がいると聞き
早速 山の道を車で猛烈に登って行って見た
途中でイノシシ駆除中の 鉄砲を持ったおじさんに 危うく撃たれそうになりながら…
大屋敷 ミニ鍾乳洞 どちらも 案内してくれたおじさんが持っている畑にあるとのこと
昔の悲しい伝説と 今も 遠い所から 内子の人と出会って話がしたいと来る人の
出会いの場所を 畑仕事をしながら 管理されていた
内子の建設会社さんなど 寄付して出来た小屋もあり
展望台から見える山 そして町並み保存地区や 各目印の場所を書いた地図が
山の高さなど わかりやすく表示してあった
(もし ここに行かれたら 訪問ノートに必ずご署名をお願いしますね
私も息子に書かせましたよ)
もう こういう個人の存在力って 意味がなくなる時代が来るのだろうか…
芸についても 技の歴史じゃなく
もちろん芸人個人の歴史なんかでもなく
そういう技芸を通じて そこに住む人が どのように 人とのつながりを作っているのか
それに気が付かなくては
いっこうに 真剣に職人仕事をしている人や
命がけで現場作業をする人
そして 病気や差別で苦しむ人
そういう心の人と
恥ずかしくなく 出会ったり 話したり
心置きなくする事が 減ってしまうだろうから
そう そういう管理者側の 権威に満ちた社会の情報からは
決して 搾取されている立場の人の 気持ちは微塵も見当たらないはずだ
どんなに探しても 都合の悪い 弾圧や搾取 奴隷や人身御供 遠島 斬首 押し込み
飢饉の時に 穴を掘って女性や子供に飛び越えさせた「雀塚」の話など
民間伝承には ちゃんとその話が存在していても
歴史の教科書はじめ 統治者についた側の文献には載っているはずも無い
残っている遺跡や廃墟の 神殿の顔が削られているのを見た人はいると思うけれど
あれが そういうものの やってきた証拠だし
楽しみのために その土地の生き物を狩って絶滅に追い込んだ話を知っているはず
私たち 日本の古典的大衆芸は その生まれた場所を この 民間伝承だと
言い切る事も していきたいと思います
そうしていくことで 海外の表現者に もっと 理解してもらいたい
無理解 誤解を減らしていかなければ
無用の混乱も避けられる
日本のお金を持って自国に帰る技芸者諸氏
くれぐれも これからは 日本の民間伝承を 少しでも学んで お帰りいただきたい
そうしたら バブル期に銀行員だった私のパリ3日旅行での
「日本は台湾の別名だろ 日本、台湾は中国の小さな島だ」と
フランスのカフェでおじさんに言われた この言葉に
反論する糸口ぐらいは つけてやりたい
亡き母の歌っていた 子守唄には 技芸は必要なかった
子供を思う心を 唄うのだから
ささやかな 心さえ 奪い取る可能性がある単一化
大衆芸まで 染めるのは そりゃ 罪というものじゃあ ありませんかね!?