« | Home | »

2012/03/12

 

あの日を切り取った映像を見るたび、ああ、全部なくちゃったんだなあ、と不思議に思う。文句を言いながら通った学校も、毎日歩いた道も、家も、お墓も、おばあちゃんの花畑も。ただしくは壊れただけで無くなってはいないのだけど、多分そこにまだちゃんと在ってくれるのだと思うけれども、まだ自分の目で確かめたわけではないからこころもとなく、見えず触れられない景色はまだわたしのものにはなってくれない。
テレビの中からは繰り返し繰り返し、おそろしい映像が映されていく。形を保ったまま流されていく屋根。叫ぶ人の声。揺れる室内。そういうものをクローズアップした瞬間が次々に写しだされてスタジオに切り変わり、わたしも心の中でスイッチをぷちんと切る。テレビの中の人たちは沈痛な顔をして、この未曾有の災害がどうのこうのと話している。

わたしの住む町は、そこを出た日からほとんど何も変わっていないらしいと聞く。
避難先からは道路一本でつながっているのに、入ることはできず、戻ることは禁じられている。割り当てられた許可日に父が持ち出してきた位牌には、乾いた泥がこびりついていた。どんな様子だったのかを聞きたがるわたしたちに父はむっつりした顔で首を振り、何も話してくれなかった。一言だけ駄目だと言った、その首筋にどっしりした疲れがたまっていた。

避難先の町でも、沢山の人が無くなったのだという。
たいへんですねえ、と労わられ、いえそちらもと声を掛け合うことにも慣れたし、おなじ被災者なのだから助けあいましょうね、とすれ違いざまに囁かれることもある。そう言ってくれる人たちはいい人なのだと思う。都会に避難した人の中にはあからさまに避けられた人もいるそうだし、ナンバープレートに石をぶつけられた車だって見たことがあるのだし。
それに比べたら、このあたりのひとはみな善意のひとだ。
そう思いはするのだけれど、思おうとしているのだけれど、どこかで違うとも感じている。
だって、あなたたちには家があるじゃないか。帰れる場所だってあるじゃないか。
だけど幸いにも家族を失わずに済んだわたしのことを、同じように感じているのだろうと分かっているから、飲み込んだ反論は砂のようにじゃりじゃりと口の中で苦くなる。

わたしはまだ、ここが避難先であって家ではない、と感じている。
父も母も戻ることは諦めたらしい。この土地に根を下ろすか否かという選択をするかわりに、二人は故郷に繋がる仕事を求めた。わたしは、宙ぶらりんのままここにいる。死ぬまでに、と思うこともある。戻れるかもしれない、戻れないかもしれない。諦めのつかない郷愁と断ち切られた友人たちのことを思って、どうしようもなくて、いまだに泣ける。泣いてもしょうがないと知りながら。

それでも、今年も春が来る。
あの日から一年、わたしの町にも、きっと桜の花が咲く。名所だった美しい並木、幼稚園の遠足で毎年通った川べりの道、家からも見えた薄紅色のきれいな森。
テレビ越しに映るわたしの町にまたあの桜が咲くことを祈って、今日を、必死に生きている。

 

==================================================
*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。

2012/03/12 12:55 | momou | No Comments