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朝は30分で4km走った。
平日朝だと仕事に差し支えず
気分よく出勤できるペースと
いうことでこのくらいが当面は
標準的な距離、ペースになりそうだ。
週末は10km超が目安か。
朝、妻の前で少し泣いた。
その後ぼくは朝食を食べながら
このようにともに朝食を食べている今という日が
ぼくにとってどれほどうれしいことかという話をした。
会社では課長との個人面談があり今年度体制の振り返りや
来年度にむけての課題整理などの話し合いをした。
自分が正しく的確に評価されるとともに
いい意味でうまくあつかってもらでていると感じ
あらためて今年度の同僚、部下、上司に対してありがたく
感謝の気持ちをつよく抱いた。
午後は助産師さんのお話を
子育て中のお母さんたちといっしょにきく機会があって
セックスにかかわる話はいのちにかかわる話なのだ、
だから性教育は必要なのだということなどをきいた。
そのエネルギーはいのちへの讃歌に満ちておりしばしば
不思議に涙がでてきた。他の人たちも泣いていた。
今日はよく泣く日だと思った。
夜、ふたたび選択理論について考えていた。
選択理論においては
「ほんとは○○をしたいのに○○することをがまんして××をする。」
ということは理論上起こりえない(はずだ)。
所与の条件や過去の記憶や以前起こったことがどうであれ
あくまで今の行動を選択するのは自分であるから
「今××をするということは自分が××をすることを選んでいるからだ。」
と考える。すなわちすべての(自分に対する巧妙な)言い訳は無効化される。
「今○○をしたいから○○をする。」以外にはなにもない。
言い方をかえると、
今ここの目の前の関係をよくするのならそのためにできることをしていますか
ということになる。「以前にあんなことがあったから」とか「前のときこうやったから」
「相手が△△だから(私はこんな態度をとるしかないorこうするしかない)」ということは
おかしいんだよね。今目の前の関係をよくしたいなら今ここでできる最良の選択を行動して
実行すればいいし、相手との関係の中で感じたプラスの気持ちをどれだけ言葉にして伝えて
いますか、ということになる。いいことやうれしい気持ちはつたえずに不満や嫌な気持ちに
なったときだけ声をあげるのでは目の前の人との関係がよくなるはずはないよねえ、
ということである。
こういうことはある意味ぼくの専門分野であり何百回もそういうことを学んできたし
言ってきたし人に対してできる範囲で実行してきたとも思っているのだが、しかし、
それでもハマる時にはあっさりとハマる。しかも自分自身がその状況になってる時には
なかなか客観視して気付けない、あるいはどうしようもないという言い訳を自分にゆるして
しまったりもするものだと思った。
毎日いろんなことがあるがあらゆる場面で笑顔で楽しくやっていけるのではないかという気もしている。
どれほど人は人を抱きしめたいのか、
どれほど人は人に抱きしめられたいのかを思った。
そんな一日であった。
・ 赤ちゃんってあったかいわね(泣いているけど)わたしもあなたもあったかいね (瀬波麻人)