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2012/03/06

『グラッサー博士の選択理論』読了。
570ページほどあるブ厚い本だが
たいへんおもしろく一気に読めた。
 
この本を読みはじめたのは今朝だが
昨日の日記に書いていたこととほぼ
どんぴしゃの内容であまりのタイミングに
なかば茫洋とした気分になった。
 
出会うべき本、出会うべき言葉、
出会うべき人との出会いはこのように
今ここぞというタイミングで出会うものなのだろう。
 
最近読んだ別の本と同じ、
映画「風と共に去りぬ」の中のレット・バトラーの
台詞のまったく同じ箇所が文中に引用されていて
そのことにも驚くような偶然(ではないのだろうきっと)
を感じた。
 
必要なものは必要なタイミングで現れる。
きっといつでもそうなのだ。
気付けるかどうか。
自分がそのような状態でいられるかどうかの問題だけが
いつもかわらずにあるのだろうと思う。
 
『選択理論』において繰り返し出てくるのは
コントロールの問題。まさに、という内容だ。
 
著者は繰り返し言う。
「自分にコントロールできるのはまったくの唯一自分の行動だけだ」と。
 
架空のチョークで描いたおおきなサークルの中に今あなたは入った。
この解決のサークルの中では
「すべき」も「ねばならぬ」も「あなたがしなさい」もない。
あるのは「私がします」だけであると。
そしてそのサークルの中にはいつでも入ったままでいられるし
いつでもチョークでその円を自分のまわりにおおきく描くことができる、と。
 
非常なる良書であった。
 
 
 
・ 三月のよく晴れた朝顔を上げる雨の日もまた笑顔でいよう (瀬波麻人)
 
 
 
つまり手ばなすのは人でも事物でもなくコントロールなのだ。
自分以外のすべての他人、ただ一人の例外もなく、に対するコントロールを手ばなす。
そして自分が自分をよくコントロールできる理性的な人間であるという
思いこみからもフリーになる。
そのうえで、雨の日もまた笑顔でいたい。
晴れたり降ったりするのは自分にはどうしようもないことで
そしてまたそれは誰かが誰かをこまらせようとしてやっているわけでもないので
そのことによって自分のコントロールを失うことも奪われる必要もない。
笑顔でいるのは(=いられないのは)誰のせいでもなく自らの選択であり意志なのだ。
選択理論の核となる考え方である。
 
解決のサークルを描くチョークを(もし望むのであれば)あなたにもあげる。
 
 

2012/03/06 10:19 | senami | No Comments