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2012/02/28

こんにちは。タモンです。

 

長野に温泉に行ったら風邪をひきました。雪山のなかの露天風呂なんかに入るからか…。しかも、なおに風邪をうつしても治らない(おい、とツッコむ)。

 

前回の大河ドラマの感想が、意外にもご好評いただいたようなので、今回もその感想にしたいと思います。

今回、ちょっと長くなりそうなので、2回に分けようと思います。

 

大河は2月26日で第7回になりました。

第7回は、鳥羽院は得子(このドラマでは「なりこ」と称しています。)を寵愛すること甚だしく、藤原頼長が内大臣になり、清盛は宋との貿易を夢見て、清盛の妻・明子が懐妊するところ(この時誕生するのが、後世、善人の鑑として描かれる重盛です)で終わりになりました。

 

大河に関する感想をいくつかネットで見ていて、「大河ドラマで描かれている内容が史実か否か」を物差しに見ている視聴者がいることを実感します。大河って、なんで「このドラマはフィクションです」っていうテロップを映さないんでしょうね。

タモンがお勧めする記事に、その点をさりげなく指摘しながら、平清盛についての書籍や研究動向をまとめておられる田中貴子氏の書評(朝日新聞)があります。読み応えがあります。

http://book.asahi.com/reviews/column/2012012200005.html

 

第2回か第3回?で、清盛が石清水臨時祭で舞人を務めた場面がありました。

史実だとこの時清盛は12歳です。大河ではその様子を物陰から見つめていた義朝を描いていましたが、義朝は当時8歳です(1123年生)。ちなみに西行と清盛は同い年です。

 

小ネタにはなりますね。

 

ここ何回か見ていて、清盛と宋貿易、保元の乱、これら2つの伏線が張られていると思います(小さいのが他に幾つもあります。これらもよく出来ていると思います)。

箇条書きなので、前回と同じく、である調にしたいと思います。

 

今回は、3点に絞って感想を述べます。

 

1、清盛のニキビ。

撮影が大変なのだろうなぁ…。と思わずにはいられない、清盛のニキビ。

 

すみません、こんな小さなことが気になって。

 

私は松ケンを映画「デスノート」で初めて知った。それ以降、松ケンの作品を見るには二度目だと思う。このニキビ、制作陣にとっては不本意だと思うが、私にしてみたら顔に野性味を増していて面白く感じる。それに加えて、彼の顔立ち(演技力とも云える)が、青年清盛の直情さ・豪毅さを、(たぶん)図らずも良く表していると思うのだ。いや、気になるは気になるけど、清盛の魅力を損ねていないのが凄い。これから朝廷のなかでどのように揉まれ、のし上がっていくのか。そして、どのように世間の汚さを身につけていくのかが楽しみだ。

 

忠盛・清盛は西海の海賊討伐に実際に行っているらしい(はっきりと行ったと記した史料はないが、まあ、行ったんだろう)。

1135年4月に西海の海賊討伐が命じられている。源為義も候補に挙がったが、以前からの忠盛の海賊討伐の実績や、西国に平家家人が多かったことなどから、忠盛が選任されたのであろう。

 

ドラマは忠盛が密貿易をしていたという設定だが、なぜそのような設定にしたのかはよくわからない。しっかり調べればわかるのだろうが…。

 

忠盛が日宋貿易に力を入れていたのは事実だ。

 

忠盛は肥前国(現・佐賀県と長崎県の一部)と神崎荘をおさめていた。博多にも神崎荘の土地はあったらしい。ドラマでは密貿易の要所で、平氏の富の源として描かれている。

 

ここは後院領(院の直轄地)で、その特権を利用して忠盛は富を築いたようだ。院のコレクション癖に応じて、宋からの輸入品を院に献上していた。その富は、頼長が「数国の吏を経、富巨万を累ぬ」と評しているほど豊かであった。

 

このあたり、フィクションの醍醐味を発揮しているなぁ-、と思います。

脚本家の腕がなっている気がします。宮廷内のドロドロも力入っているのでしょうが、こちらは楽しく書くぞーーっていう意気込みを感じるんですね。

 

2、美福門院得子の野心と負けず嫌いっぷり。

「私を汚してください」

「皇子をお産みしとうございます」(細かいところ違うかもしれない)。

 

セリフが強烈です!!!

特に後者、着替え中の鳥羽院を押し倒してのセリフです。

私もそのくらいの気合いをもって……(いや、美貌がなければ言ってはいけないな)。

しかし、押し倒したかいもなく、次も内親王(のはず)。その次に生まれるのが、やっと皇子。つまり近衛天皇(だったはず)。ドラマでは端折るかも。

 

松雪泰子は気の強い女性の役柄がハマる気がする。

たんに映画「フラガール」のイメージが続いているだけかもしれない。今回は平安貴族なので身体を使った表現が限られている。改めて、松雪泰子の肌の透明感と眼力の強さを感じた。

 

得子は1134年ごろから鳥羽院の寵愛を受け(たしか、ドラマの現在時間は1136年?だったはず…)、叡子内親王、八条院、近衛天皇、高松院を生んだ。女の子3人、男の子1人。得子は、鳥羽上皇を説いて、崇徳天皇を退位させ、3歳で近衛天皇を即位させる。自らは皇后の位につく。はい、あからさまですね。しかし、近衛天皇は17歳で崩御してしまう。そこで得子は、皇位継承権第一位の崇徳上皇の皇子・重仁親王を退けて、鳥羽上皇の皇子・雅仁親王(後白河天皇)を即位させる。これらのゴタゴタが保元の乱の原因のひとつとなった。

 

ドラマの展開より先走って言ってしまう!

 

美福門院と鳥羽院にとって、後白河天皇の即位は「中継ぎ」的なものだったと指摘されている。彼らには、本当は美福門院の猶子(養子に似たもの)だった、後白河天皇の皇子・守仁親王(後の二条天皇)に即位してほしかったという。

 

彼らにとっての計算外は、後白河の破天荒キャラだと思うね。

 

源頼朝は後白河を「日本第一の大天狗」と評したという。彼は芸術家肌の破天荒さと政治家としてのしたたかさを併せ持った稀有な人物として、これから大活躍するだろう。

次回、初登場のようだ。松田翔太がどのように演じるのかも期待大である。

 

当時、女の「ある野心」を達成するには、天皇・上皇の男の子を産んで、天皇に即位させなければならない。

 

ドラマ内で、得子は璋子に対抗心を燃やしているが…。史実だと、璋子は得子より16歳上。得子が17歳頃から寵愛を受けたとき、鳥羽院は28歳、璋子は33歳。平均寿命が約40歳と云われた当時としたら、33歳は「女」が終わった頃なんじゃないかなぁ、とも思う。

 

それとも「女」はいつまでも「女」なのか。

 

次、3点目にいこうと思いましたが、随分長くなってしまったので、次回に回したいと思います。また明日、アップしますね。

 

そういえば、次回の大河予告を見て、璋子と憲清(後の西行)が…!

タモンの予想があたりそうです。

 

璋子を見ていると、無垢な大人は人を傷つける、そう思います。

無垢はえげつない。壇れいの美しさが怖いです。

いつ、彼女がただの大人になるのかが気になります。それともこのまま表舞台から消えていくのでしょうか…。

 

2012/02/28 03:32 | rakko | No Comments