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地球の舳先から vol.227
マダガスカル編 vol.4(全8回)
大晦日のその晩。
見たことの無い虫に対し虚勢を張ることを、次第に覚えたわたしは
「ナイトサファリ」なるものに連れ出された。
合言葉は「虫の方が人間が怖い!」「先に手を出したほうがやられる!」である。
…根拠は特に無い。
懐中電灯ひとつだけを携えた軽装のガイドに「これからトゲの森へ行く」と宣言される。
長袖2枚、パンツの下にはタイツ、靴下2枚に厚めのスニーカーで完全防備。…夏なのに。
想定外の虫が落下してくることを前提に、つばの広い帽子は、日が沈んでも欠かさない。
だって、多足動物が背中にでも侵入したら…なんて、想像するだけで失神しそうではないか。
しかし、予想外に、ナイトサファリは非常に神秘的だった。
夜しか見られない美しい鳥や、植物の茎に佇むカメレオン、
木にくくりつけられた巣箱から顔を出す、ハムスター並みの小ささのキツネザル…。
どうやって発見するのか、ガイドが目ざとく見つけては懐中電灯を当てて見せてくれる。
わざと大きな音を立てて動物をおびき寄せるガイドもいるようなのだが、
わたしについてくれたガイドは、昼間の段階から変わらず非常に穏やかな人で
動物を見つけてもひそひそ声でわたしを呼んで、ただ懐中電灯を手向けるのだった。
ナイトサファリを終えると、空には見たこともない量の星が煌めいていた。
この保護区は22時以降すべての電気が消灯されるので、夜の星の量はまた凄まじく増える。
地の果てで電気がつかないという環境におかれること自体も珍しいが、
さらに加えて天気がからりと晴れなければ、これだけの星には恵まれない。
真っ暗闇で目に映るのは月と星の光だけ、耳に入るのは植物が風に触れる音。
空が湾曲していた。
地球はほんとうに丸いらしかった。
(顔を出したネズミキツネザル。手のひらにのりそうな大きさ。)
早朝、おそらくニューイヤーを祝福する地元の家族の歌声で目を覚ます。
詳しいことはわからないが、抑揚のない静謐な旋律はおそらく伝統的な歌なのだろう。
新しい年を迎える、アルコールを含んだお祭り騒ぎも、指笛も歓声もない。
片手で数えられるくらいの人数の、地元の一家の、朝日が昇る瞬間の静かな合唱。
歌が終わるのを待って、さえぎるもののない朝焼けの屋外に出て行く。
人々の視線がやわらかくて、「おや?」と思い、その違和感の理由を探した。
普段とはなにかが違う、どこか慈愛に満ちた空気。
しばらくして、なるほど、とひとり納得した。
アフリカに来ると、よくわかる。
日本人は、アジアの多くの国ではカモにされ、ヨーロッパの多くの国では
「ジャパン」としてある部分については認められているが、
この地ではいまだ、差別対象なのだ。もちろん、人種という意味で。
マダガスカルを旅して、いやがらせを受けたことはない。むしろ人はみな親切だった。
しかし言葉はわからなくても、ときに投げられる蔑称は空気を切って意図を伝えてくる。
差別してきた側より、されてきた側の人間のほうが、その根は深いのだ、とも思い知らされる。
わたしは、自分のことを「黄色人種だし、人種差別はいまだあっても仕方ない」と思いつつも、
「日本人であること」に対して一定のアイデンティティを持っていたことに気付く。
それはある意味で驕りそのもので、ある意味では選民思想で、
しかし、じゃあ日本の何を誇っているんだろう、と思うと、どうしたって口ごもる。
旅行をして、どこかの国を旅するとき。
それは、その国の人々の庇護のなかで歩き回っているに過ぎない。
その国が、貧しいとか、不安定だとか、そういうことじゃなくて。
そして、日本にいると気付かないものだが、
自分の中に居る「日本人」な部分を実感して、びっくりしたりもする。
地球は広く、自分は小さい。
2012年のはじまりの朝に、もう一度心のなかで受け止めた、旅の掟であった。
(あのですね、そこは散歩コースではなくわたしの朝食テーブル…)
つづく