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雲の隙き間から一筋の光、
凍りついた北壁が溶けるように輝き出す、
子供の頃いつも見ていた蒼空だったはずなのに、
どこからともなく分厚い雲が駆け寄って来て憂鬱な空にして行った、
蒼空を隠した雲は蒼い空を探しただよう、
どこまで行っても自分が蒼空を隠している事に気付けない、
誰もが自分の想いとは違う光景が目の前に現れると、
なんとかその理由を探して自分を安心させようとするけど、
自分の中に理由など見つける事が出来ずに、
不安だけを心に突き刺したまま歩き続ける、
あの日出会った彼女、
どうしても過ぎ去った理由を探したくて、
雲の隙き間から漏れる一筋の光を探し続けていた、
そしてそれはいつも突然現れる、
何も持たず一筋の光が地上に舞い降りて来た、
街の中で出会った彼女のように、
カーテンから射し込む一筋の光を見上げる眼差し、
辿り着く事の出来ない永遠の光を見つめていた、
まるで大事なものを探し出したかのように妙にはしゃいでいた、
私はただ気付かれないように彼女の後姿をただ見つめていた、
”天使の階段”、知ってる、
彼女は窓から差し込む一筋の光を眺めながら、
瞳は昔歩いていた景色の中を歩いていた、
”この階段を登ると天国に辿り着けるんだって、
でも誰もその階段を登った人がいないんだって、
天から降りて来た一筋の光の下に行こうとしてもその光はすぐに消えてしまい、
その階段にさえ辿り着く事さえ出来ないんだって、
なんだか悲しい物語よね”、
”私、天使の階段登りそこなったみたい”、
私は黙ったまま隣で喋り続ける彼女の後姿を目をつぶったまま追いかけていた、
彼女の見て来たもの、
彼女の歩いて来た道のどこを探しても、
彼女を見つける事が出来なかった、
”この人だったら私を助けてくれると思ったの、
自分を変えたくって9cmの赤いヒールを履いてたの、
泣きたくて夜の神楽坂をフラフラしていたの、
歩道を歩く人達が皆幸せそうに思い出を作っていたから、
私ったら逃げるように走ったの、
モノトーンの素っ気ないレストラン、
通りの向かい側にはイギリス人の洒落たバーガーショップ、
私、自分を変えくれるんじゃないかと思って、
レストランのグレー色のトビラを開けてみたの、
テーブル席はどこもあの頃の私たちのように幸せそうで、
今はもう戻る事の出来ない私はカウンターに目を走らせた、
カウンターの隅にあなたと私の好きなジキタリスの花が座っていたの、
あなたなら一緒に登ってくれる気がしたの、
美味しいフォアグラを頼んで冷えたワインを飲んだわ何杯も何杯も、
あの時に戻れるような気がして、
あなたはそんな私の事が気になって気になって仕方が無かったはずなのに、
あなたはマスターの方を向いて楽しそうに話していたわね、
私の事を見向きもしない素振りで、
冷えたワイングラスの中に映るあなた、
私は気が付いていたのよ、
あなたがワイングラスに映る私をずっと見ていた事を、
私はドキドキしながらいつ声をかけてくれるのかずっと待ち続けていたのよ、
いくら待ってもあなたは私の寂しさに気付いてくれなかった、
グラスの淵の水滴が流れ落ちて行く、
悲しかったな、
あなたの映るグラスに涙がこぼれて行ったの、
たしか、あなたマスターに、
”俺帰るわ”と言ったわね、
その時、私の中で何かが弾けたの、
捨てて来た思い出をいくら繋ぎ合わせようとしても、
もうあの時の彼が微笑む横顔を見る事さえ出来なかった、
幸せそうな街は、
花束を歩道に捨てた私には二度と微笑まなかったわ、
進む事も戻る事も出来ずにいる、
私が歩道に一人、
陽が昇り朝になって、
陽が沈み夜に包まれるはずなのに、
私はあの時のもどかしい私を彷徨ったままなの、
ただあなたの瞳の中に隠れて、
あの時の私に戻りたかっただけなの、
私はあなたに抱きついてあなたの耳をかじったとこまでは覚えてるの、
だって昨日は、
私、一人になれなかったの、
”ごめんね”、彼女は私に背を向けて身体を横にしたまま暖かなシーツの中に頬を埋めていった、
”良かったら今日はこのままもう少し一緒にいて欲しいの”、
”いいでしょ”、
私は事情が飲み込めないまま、
彼女の肩を抱き寄せる事くらいしか出来なかった、
一時間後に彼女は再び遠い眠りの中に溶けて行った、
ジキタリスが好きと言っていた君、
僕の胸の中で両手を折りたたんで丸くなった姿は、
まるでお腹いっぱいになった子猫が、
深い眠りの中に戻って行ったように安心しきっていた、
私は白いシーツから顔を出し部屋の中を見回してみたが、
先程まで見えていた一筋の光はいつの間にかどこかに消え去っていた、
彼女が眠りの中に持って行ったのかも知れない、
シーツの中の小さくうずくまった彼女を見ていると、
瞼の中で瞳が激しく動いているのがシーツ越しの柔らかな光の中に見え、
天使の階段を登っているようにとても幸せそうな顔だけがシーツの中に隠れて行った、
”有り難う”、
遠くで彼女の声が聞こえていた、
身体が重くて起き上がる事さえ出来ない、
目すら開ける事が出来ないのに、
なぜか耳だけは敏感になって、
彼女の声だけが遠くで響いていた、
”今日、元彼の結婚式だったんだ、
7年間も付き合った彼だったんだ、
彼は優しくて良い人だったんだけど、
彼が結婚しようと言い出した時に、
私は何かが違うんじゃないかと思い始めたの、
そしたら私の中の私が言ったの、
”きっと、彼は違う”って、
あなたと一緒に天使の階段を登り続ける人じゃないって、
そして私心が変わらないうちに彼と別れたの、
そしたら彼ったら半年後に結婚するなんて、
私とは別の誰かと結婚するなんて、
やっぱり彼は天使の階段を私と一緒に登る人じゃなかんだって、
私、そんなかってな理由を見つけ出したの、
あなたの目は優しかったわ、
こんな私に付き合わせてゴメンネ、
でも一緒に天使の階段を登ってくれて有り難う、
又いつの日か会えたらいいね”、
遠くで聞こえていた柔らかな声が次第に暖かな陽の中に消えて行った、
どのくらい時間が過ぎたんだろうか、
白いシーツの中で目を覚まし左手でいるはずの君を捜したのに、
どこにも見つける事が出来ず腕だけが宙を彷徨っていた、
ただ暖かなシーツの肌触りだけしか感じる事が出来なかった、
まだ日の高い時間にそれも一人で、
ホテルを出るのはなんだか恥ずかしく道行く人の総てが、
昨日の出来事を知っているんじゃないか、
誰かが突然声をかけて来るんじゃないかとそればかり考え、
誰かに声をかけられても絶対に振り向かないで歩き続けようと心に決め、
人混みの流れに隠れるように溶け込んだ、
電車の中でジーパンに入っていたカードを取り出してみると、
洒落た文字で『CASTELLINA』と書かれた店のカードが出て来た、
カードを裏返しにすると、
”Angei’s stairs
あなたの中で想いっきり泣けたわ、
一緒に天使の階段を登ってくれて有り難う”、とだけ、
緑色のインクで書いてあった、
彼女は名前もアドレスも書いてくれなかった、
スノーシューSW-14を凍える手で外し、
アイゼンST11に履き替えることができた、
朝陽が凍り付いたグレートサミッツの北壁から昇り始め、
暖かな朝陽が私の総てを静かに凍らせて行く、
雪の中に一人がやっと座れるところを見つけ、
遅めの朝食を取り凍り付いた雪を溶かしコーヒーを飲むと、
凍り付きそうな私が静かに解け出した、
これから登る北壁のルートを目で追っていると、
あの部屋で消えて行った一筋の光が、
雲の合間から漏れて来た、
”天使の階段”
こんな時になぜ君を思い出すんだろう、
あの時に君の頬に一筋の光が流れていたら、
今頃君はここで一緒に天使の階段を見ていたはずなのに、
君は私を起こさないようにシーツから抜け出し、
そっと着替えてから私のジーパンにカードを差し込んで、
君は振り向きもせずそっとドアを閉めて部屋を出て行った、
あの時、君は私の中から消えて行った、
あの時、君と一緒にこの北壁の天使の階段を登る日が来ると思っていたのに、
一人陽の出前にシーツから抜け出し雪の斜面を歩き続けここまで辿り着いた、
いつも一人で登っている山なのに、
凍り付いた稜線を見ても寒さなんか感じなかったはずなのに、
一人で天使の階段を見ていると、
君と過ごした暖かなシーツが頭から離れない、
今、凍てついた北壁に射し込む光の中に、
ダイヤモンドダストが吸い込まれるように登り始めた、
キラキラ輝きまるで踊るように天高く昇り始めた、
その中にいないはずのない君がいるような気がした、
目をつぶれば、
君が天使の階段を昇って行くのが見える、
愛をくれた君が蒼い空を飛び、
遠くに忘れかけていた懐かしい想いを、
君が私の中に戻してくれる、
君のいる街では梅の花が春を連れて来る頃、
凍る北壁を目の前にして君の事を想って、
蒼い空に昇って行く君を思い出しながら、
私は凍る北壁に手をかけている。