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2012/02/22


広告人・吉田透氏の場合

世界の景色を求めて、ワイデン+ケネディ トウキョウへ。

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時は、広告バブル。ひとつのキャンペーンに、信じられない巨額が動いていた。 
競合他社と差をつける要素として、マーケティングや広告に依存する傾向が大きかった時代でもある。
TVCMが圧倒的に強かった当時を吉田さんは「自由競争ではない」と表現し
「政治で仕事が動く、テレビ局と代理店のもたれ合いの構造。」と断する。

クライアントのものづくりの現場に接していた吉田さんは
夜中に過酷な労働をして1円50銭の単位で商品を作っている企業に対し
当時の代理店のやり方、あり方に憤りを覚えることもしばしばだった。

「ちゃらちゃらしたプロデューサーが
 撮影現場にものすごいベンツで乗りつけて、営業部長とゴルフの話ばっかり。
 滅びてしまえ、と思ったこともあります。」

効果測定など上っ面の言葉だけで、現場も大甘。
「これまで広告代理店は、ノーリスクで人のお金を使ってきたんです。
 それで賞を取って、巨匠気取りとか…そんなのって、絶対におかしいでしょう。」
だが吉田さんが呪わなくとも、現実問題としてそんなバブルは長くは続かない。
広告代理店=高給という方程式ももはや神話化し、苦境にあえぐ代理店は今、
“Innovate or die”と変革を迫られているが、それは悪いことではないときっぱり言う。
「テレビ以外にもこれだけ色々なメディアがあって、その中で、効率とは何かを考える。
 他の市場では当たり前のことが、ようやく今広告の世界でも正されつつあるだけのこと。」

*     *     *

吉田さんが博報堂の退社を決意したのは今から約10年前、
9.11アメリカ同時多発テロの直後だった。
世界の構造が変わると確信した事件だったが、翌日の会議室で違和感を覚えた。
テロの件が話題にのぼることもなく、淡々と進む事例発表会。
非常にドメスティックなところにいて、「世界の景色が見えない」と痛感した。

そんな時に知ったのが、世界を代表するクリエイティブエージェンシー、ワイデン+ケネディのジョン C.ジェイ氏。
“JJ”の愛称で慕われる—いや、もはや伝説となっているジェイ氏は、ワイデンのキーパーソンとして、ワイデン+ケネディ トウキョウの設立にも貢献した偉大なクリエイターだ。
“カジュアルの前に、人は平等である”
NYのファッション業界から広告界に転身した彼がユニクロのブランドメッセージとして語ったその言葉が吉田さんを動かした。
ワイデンは主にクリエイターが属する会社だったが、吉田さんは東京支社初のプランナーとして迎えられた。

ときに、感性のクリエイターと理論のマーケターは衝突しがちだが、
売り場視点の吉田さんはすぐにクリエイターとの協働にも馴染んだ。
「博報堂に居た時に好きだったタイプのクリエイターが多かったですよ。
 ヒューマニティっていうのかな、人間性への愛情の強さが根底にあるところとか、
 アイディアを形にする最後の作りこみに対する粘りとか…
 そういうものが結果、クオリティを上げていくんだ、と学びました。」

有り物のメディアに、出来合いの表現を乗せていくだけではない。
ワイデンのクリエイティブにマーケの手法を取り入れ、さらにクオリティを引き上げていく。
吉田さんは、博報堂時代から、PRを効果的に使うマーケターだった。
最初は、薬事法でがんじがらめのため自薦型の広告では何も言えない商材の訴求のために使った他薦型のPR手法だったが、
広告とPRを組み合わせ、手数(てかず)を増やしていく作業は非常にクリエイティブだったと振り返る。

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次回予告/Scene3;
広告人・吉田透氏の場合
広告界にとって必要な試練。渦中の人間が、信じ、愛せるかどうか。
(2月29日公開)

2012/02/22 07:00 | yuusudo | No Comments