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2010/11/24

『一粒の麦』
コンペティション部門のこのルーマニア映画も
様々な切り口が考えられる多面的な映画だった。

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シニツァ・ドラギン監督

司祭が教会の入り口で一心に遠くを見つめている。水は彼のひざ下まできている。浸水ではない。教会がドナウ川に浮かんでいるのだ。にもかかわらず司祭は動じる素振りもない。そう。この水上の教会は現代の世界に浮かぶ「異界への入り口」なのだ。

映画は二人の父親の子探しの旅とこの不思議な教会にまつわる二百年前の伝説がパラレルで展開していく。その伝説とは、ルーマニアで二百年前に教会の建築を禁じられた村人たちが、力を合わせて人力で木造の教会を自分たちの村へ移動する物語である。舞台となった東欧はもともと多くの民族が混住する複雑な政治事情を抱えていた。それが共産主義体制の崩壊後、経済が混乱して無秩序な状態に陥ってしまった。民族主義が台頭し、民族間の対立が紛争を呼んで銃火の途絶える暇もない。

ルーマニアで事故死した息子を探すセルビア人の父親も、旧ユーゴ崩壊に伴ってそれまで信じてきたイデオロギーも国家もなくなり、大きな喪失感に苛まれている。だからこそ旧ユーゴ時代の勲章を肌身離さず持っている。友人に諭されようが罵られようが、捨てられないのだ。勲章を捨てることは自分の人生を否定することだからだ。しかし、息子の遺体を辿っていくうちに彼の内面が変わっていく。信じてきた正義がぐらつきはじめる。その辛さは酒でまぎらわしてもかえって膨らむばかり。苦労の末に息子の遺体を取り戻したのもつかの間、ある事件がきっかけとなって彼は軍隊を離れた息子の気持ちをはじめて理解する。同時に彼の人生を支えてきた信条と決別しなければならない。彼の葛藤がヒリヒリと胸の奥に沁み込んでくるようで痛い。そして息子の遺体はまた父親の手を離れていってしまう。
もう一人のルーマニア人の父親は、売春させられている娘を取り戻しに国連管理下のコソボへ潜入する。手を尽くして娘との再会を果たすも、親子は新たな試練に直面する。売春元締めのアルバニアマフィアが出した交換条件に父親の葛藤は極限にまで高まる。それと呼応するかのようにドナウの水位も極限を超える。村へ運ぶ途中の伝説の教会を増水が呑み込んでしまう。

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ルーマニア人娘役のイオアナ・バルブ

はたして、この伝説は厳しい現代のバルカン情勢をなぞらえただけのものだろうか?
その答えは司祭が立っている「異界への入り口」にある。それまでパラレルで展開していた現代と異界とが結びついて、やがて息をのむクライマックスを迎える。司祭が教会の入り口に立っていた意味。監督が教会の入り口を「異界への入り口」にした意味。それらがストンと胸に落ちる。せつなさとほのかな希望。9対1くらいの比率で心をかき混ぜる独特な苦さにしびれた。

2010/11/24 08:02 | higashide | No Comments