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2012/01/24
まだまだ日本において知られていない野菜は数多く存在する。
地方においては当たり前の野菜が都内では新鮮に響いてくる。
時に珍しい野菜が生成したり、時に研究の末、新たな品種が生まれたり、
活きた素材と人間が出会うタイミングというのもあるかと思う。
軟膏の代わりにアロエを使ってみたり、
アボガドの種のように毒を持つものがあったり、
それぞれに繰り返し生成する中でも変わることのない個性がある。
昔、何かの例えにあったが、
2つのミカンに声をかけ、一つには愛を、一つには憎しみを、
言葉で伝えると、愛されてるミカンは活き活きとし、逆に、
憎しまれているミカンは弱く乾いた身体となっていくというのがあった。
言霊に込められた波動というんでしょうが、
確かに間違いではないと思う。
愛情と手間をかけて、ほんの小さな種から実を生すまで、
人間は見届ける。人間の命だけが尊いのではなく、
木陰に生えたキノコひとつまで全てに命は宿っている。
世田谷の真ん中、騒々とした街に住んでいるが、少し離れると、
個人宅の田畑が広がっていたりする。朝露に濡れたその田畑を映す
土の色、緑の色、そして空の色、人間は視覚からも栄養を摂り入れる。
神経が欲しがる栄養は人それぞれに違う、
それぞれに神経があり、発達の度合いも違う、
それぞれに今必要な栄養がある、それが野菜なのか肉なのか、
よく考えてみる時間も必要だと思う。
何気なし摂取しているものが、寿命を縮めているということもある。
2012/01/24 11:29 | nishikawa | No Comments