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どう 伝えたらいいのか
毎回書かせていただく話の意図する所を
きちんとできたら
私はもっとどっぷり寄席で曲独楽師として
あと数十年は確実に活動していただろうと思うけれど
今は 愛媛県の内子町 大瀬地区の山の中を拠点に
細々と曲独楽師を全国公演中の身です
ところで 前回書きましたが
私の父 源氏太郎は
とても 私に強い影響を与えてきた人で
性格 顔 舞台での話し方など よおく似ている
私自身は認めたくなかったので 大して話題にしてこなかったですが
改めて思い出すと
父の同期の方が口々に そっくりだ と繰り返し
私を楽屋で面白そうにからかって 楽しそうだった
一番面白かったのは
橘家 円蔵師(前名 月之家円鏡師)で
あんまりお客様の前で 父の話をするので
「これじゃギャラが少ないから 師匠 お小遣いください」って 言ったら
本当にくださいました 洒落が服着て歩いてる方です
芸人というのは
人と人とのつながりの塊みたい
愛があふれてますが
過剰包装で なかなか本当の良さがわかりにくい
だから 昔の人はよく
貧乏しないと 芸は良くならないよって
言ってましたっけ
女芸人としては 普段静かに生活するのは とっても難しい事で
私ですら あちこちお呼びいただくと いろんな事があり
華やかなのですが
曲独楽のような 舞台上と別の作業を必要とする種類の業種だと
これを維持するのは 至難の業で
私の姉弟子 先輩の小紋ねえさんは ご亭主が器用な方だったから
小道具の修理も ちょちょいのちょい
入門当時は とても うらやましかったです
私は同期の 左紋さんや後輩の右紋おじさんと一緒に
曲独楽製作者のI先生が
本業でドイツでの壁画やホテル建築が終わって帰ってこられてから
やっと大工道具の扱い方を習ったりして
5年目くらいから 何とか維持する事ができるようになりました
売れっ子になるため お付き合い中心の活動をするのではなく
曲独楽維持の技術の方に 子供の頃からの木工好きから
ひたりきってしまいました
マイ糸鋸で 曲独楽の羽子板を作っていた時が シアワセでした
もう 糸鋸は I先生に お使いいただくよう アトリエに置いてきたのですが
ちょっと今 心残りしています
でも 何とか 今は
私は 芸の王道を