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皆さん、おはようございます。
「ホメて育てる」ということはよく言われることです。
まあ、育てるという言葉が、大学などの、
いわゆる「学校」に行ってる間だけに使われるなら良いとして、
はたしてその後、社会に出てもなお、通用する言葉なのでしょうか?
そもそも、「ホメて育てる」といっても、
何をホメるのか、ということなんですが、
一般にそれは、その子のどこか良いところを見出してあげて、
そこをホメて伸ばしてやる、ということだと思うのです。
しかし、それが社会に出た後どれほどなされているか、
といえばかなり疑問です。
例えば会社などの組織ですが、
その大半が「営利」と言われるように、
会社としての利益、社員各人の経済的利益を追求する、
そういう場なのであって、
構成員の成長を目的とする場ではない、
それが会社組織というものです。
研究団体などもまたかくの如しで、
研究実績を上げることが目的なのであって、
研究者個人の成長が目的なのではありません。
もちろん、研究者の成長は喜ばれますが、
それは成長そのものが喜ばれているのではなく、
有益な人材となっていってることが喜ばれているのです。
するとどういうことが起こるか、というと、
欠点に対する非難がメインになってきます。
その非難たるや、成長が目的なのではなく、
欠点によって利益を損なわないようにするため、
というのが目的ですから、
組織からの排除もチラつかされての、
相当にシビアな非難となることは必定です。
問題は、そのような現実に対して、
ひたすらホメて育てられた人たちが耐えられるのか、
ということなのです。
組織人としての成長内容は、
概ね先輩たちにとっては出来て当たり前の内容になります。
だから、出来たからといってホメられることなど、
「ホメて育てる」をスローガンにしている組織でもなければ、
まずあまり期待できないであろうと思われます。
つまり、アメなしのムチばかり、ということなのです。
そんな現実に対して、
「ホメて育てる」というのは、
長所と短所を極端に持ち合わせていると思います。
良い面としては、なるべく子供たちを、
社会人のスタート地点くらいは同じラインに立たせてやろう、
という「平等」の理想が背景になっていると思われるんですが、
反面、そんな理想は社会では実現していないどころか、
本音では誰も実現したいとも思っていないため、
教育段階での「理想」の実践が、
社会へ送り出した段階では仇となってしまう、
という諸刃の剣なのです。
人間とはおかしな生き物です。
子供たちに、あまりサバイバルを教えている様子はないのですから。
他の動物は子に対して、必死に教え込むことを、
なぜか人間社会はタブー視して教育するのです。
牙を抜いておいて、素手で喧嘩させて勝敗を決める。
ある意味責任逃れな教育方法なのかもしれません、
「ホメて育てる」というのは。