« | Home | »

2012/01/16

――きれい、だなぁ。
その清潔そうな襟足を見る度、胸がぎゅっと押しつぶされたような気分になる。実際には頬杖をついて普通の顔しているつもりだけど、ちりちり焼けるような気持ちを抱えて、なんだか急に世界のすべてが愛しくてたまらないような気分になる。
彼は振り向かない。教室の前のほうで固まってバカをしている男どもからは、思春期の悩みだとか、もうすぐ自分のこととして身につまされるだろう進学先のもろもろだとかは全然伝わってこない。あるのはあけっぴろげな明るさと楽しさで、いいなあ、とあたしはなんだか羨ましくなる。
雑音も煩悶も苦悩もなんにもない、ただひたすらに明るい彼らの声を聞いてると、宇宙にぽーんと放り出されたような気分になって、なんだかずるいような気がしてしまう。

「どうしたの? ぼーっとしちゃって」

急に、彼が振り向いて眼が合った。その瞬間友達から声を掛けられて、慌てて話を聞いているふりをする。友達は彼がどうのこないだのデートがどうのとこれはこれで緊張感のかけらもない話をしていて、相槌を打つのに苦労する。
そうなんだあ、と適当に話を合わせながら横目で見たら、彼はまた清潔な襟足をこちらに向けて、今度は箒を振り回してよくわからないごっこ遊びに興じていた。

正面から見る彼は、別に格好良くもなんでもないただのどこにでもいる高校2年生だ。
ニキビはあるし、へんな寝癖をつけているときもあるし、修学旅行で見た私服はださかったし、正直言って全然よくない。実際、話したことなんて精々プリントを回してもらう時の「はいよ」「ありがと」くらいだし。
あたしの前の席の彼は、そういうわけであんまり目立たない。女の子たちの誰それがカッコいいとか、そういう話題に出てきたことは一度もない。

でも、あたしは気づいてしまったのだ。
彼の短く刈られた襟足の首の付け根。そこに、まるでお日様のプールみたいにいっとき、光がたまる時間があるってことに。よく居眠りしている背中があったかそうでぽかぽかしててなんだかすごく気持ちよさそうに見える瞬間があるってことに。
断じて恋なんかではないけれど、それに気づいてから彼のことをよく見るようになった。例えば退屈な授業中。たとえば掃除しながらふざける背中。彼の襟足をじっと見ていると、教室のなかに自分と彼しかいないような気分になって、真空パックされた密室の中で日光浴しているような、すこしいい気分になる。

彼の、彼もきっと知らない秘密。
あたしのほかには多分誰も知らないその襟足を、あたしはひそかに追っていくのだろう。
==================================================
*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。

2012/01/16 08:37 | momou | No Comments