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地球の舳先から vol.221
東北/被災地 定点 vol.8(全10回)
安藤さんは、鮮魚や冷凍品、廻船の問屋業務も行う磯屋水産の代表。
磯屋水産の事業所は、漁港に面したまさに海沿いに位置している。
「我々、沿岸部の人は、津波に対抗しようなんて思いません。
小さな情報でも、すぐに逃げます。」
と言う通り、当時を振り返った安藤さんの行動は教科書のように的確だった。
大きな揺れで「ただごとではない」と感じ、すぐに事業所へ戻って従業員を避難させた。
初動の対応が早く、従業員は全員無事。
会社の車はすべて漁港の屋上に避難させ、自身も屋上から海の様子を眺めた。
「日頃から訓練をして、知識も備えていれば、逃げる時間は十分にある」
チリ地震の際の津波を覚えていた。それよりも何割増しかだったとしても、
漁港の屋上まで波は来ないだろうと踏んで、その場所から津波の前の引き波を観察した。
震災8ヵ月後、この日訪れた磯屋水産の土地は、砂利を敷き詰めて地盤沈下への対策がとられた後だった。安藤さんが私費を投入したものだという。
もちろん、後々自治体の対応が決まったら強制撤去になるかもしれず
無駄になるかもしれないが、待っていても行政に期待できないと判断した。
「役人や政治家に頼ってばかりはいられない。
私は、自分のお金を使って、やれることからやります。
下水の匂いがしんたんじゃ、水産都市気仙沼として、自分が恥ずかしいですから。」
きっぱりとそう言う安藤さんは、圧倒されるほどに気仙沼への愛と誇りに満ちている。
「地元の人間が地元を愛せなくなったら、日本はおしまいです。」
実際その判断が正しかったと思わざるを得ないほど、8ヶ月を要してこの地は手付かずだ。
漁港の前の仮設道路すら、国が渋るものを自治体にかけあって作ってもらったものだったという。
「魚市が動かなければ、気仙沼の再生はあり得ません。」
しかし、全力で掛け合って、ようやく道路一本である。
東京にいると原発のことばかりが取り沙汰され、もはや震災復興の話をあまり耳にしない。
一方で耳障りのいい「復旧から復興へ」などというスローガンが聞こえてくるが、
復旧すらままならないのが被災地の現状だとあらためて見せ付けられる。
今年、市場再開した気仙沼がカツオの水揚げ日本一になったというニュースが大々的に流れた。
気仙沼大島を湾の中にもち、波の穏やかなこの地にはかつて多くの船が航海の羽を休めるように来航していた。
「みんなでがんばった結果が日本一だったかもしれない。
でも、今年は気仙沼大変だったから、と船が来てくれている面もある。
来年、漁港がこのままの状態だったら、いったいどれだけの船が来てくれるでしょうか?」
原発の風評についても質問が出た。揚がった魚に関しては、検査もしているという。
ときにJUSCOが自主検査で0ベクレルを目指すと発表し、一部から絶賛されたこともあったが
小さな日本中が濃淡はあれ被爆対象となった環境で、「基準値以下」はまだしも、
「0ベクレル」など、現実的に有り得る話なのだろうかと、素人目に考えたって疑問が残る。
身を守るのも自己責任―自立を崇めるこのところの国民性に、行き過ぎた部分はないのだろうか。
明日が戻り鰹のピークになるだろう、と安藤さんは言って、一流の戻り鰹のルビーレッドがどんなに美しいかを語ってくれた。
「食って、飲んでこその気仙沼。ぜひ食べていってください。
気仙沼は、まだまだ頑張ります。」