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2011/12/08


三浦綾子著 道ありき

現在飛行機で成田空港に向かっています。一年ぶりの帰国なので楽しみ。まだ着陸まで数時間あるので機内で読んだ本について綴りたいと思います。
私は本を読むと学生時代に読書感想文を書いた時のように頭の中で本の感想をぐるぐると考えます。今回読んだ「道ありき」は私が中学の頃から数年に一度読んでいる、個人的に最も好きな本なのですが、6-7年ぶりに読んだのでまた新しい印象を受けました。というより、今回は涙が止まらず、あまりによく泣けるので気分転換に途中で映画やニュース番組を見るも、また本を開くと2行目にして涙が頬をつたうという始末でした。

この本からは毎回読む度に違うメッセージを受け取ることができるのですが、確か3度目に読んだ時は「私は一生かかっても三浦綾子さんのような信仰や愛を持つことはできない。」となかば自分に失望して、その気持ちを大きな絵に描きました。その絵は自分が初めて書いた「読書感想画」だったのですが高校の文集の表紙に選ばれたので今でもはっきり覚えています。大きな木が中心に浮いていて幹の右には明るく眩しい光の中に丸い実が一つ、幹の左には暗い陰りの中に丸い実が一つ浮かんでいました。実は両方とも同じ色・形・大きさなのですが背景の明暗が違うので左の実の方が明るく光り輝いているように見えるのです。私はクリスチャンホームで育ったのですが、三浦綾子さんと同じ神を信じるものとして神が信仰の強さで人を判断される人ではないとわかっていながら彼女の辛い経験が彼女の謙遜と深い愛とゆるぎない信仰を生みだしていることを感じ、自分のように健康で幸せにのんびり育った人間はどう頑張っても彼女のようになることはできないと思い、自分をその実に例えたのです。

それから何度か「道ありき」を読みました。読むたびにこの本が与えてくれるレッスンは大きく、毎回感動するのですが、今回は自分の恋愛観の基がこの本に大きく影響されていることに初めて気付き驚きました。今でさえこそウェディングのブログを書いたり美容に気をつけたりしていますが、小さい頃、男の子と遊ぶのが好きでジーンズやジャージの方がスカートよりも好きだった私は、三浦綾子と前川正の清潔で勤勉な付き合いかたに憧れ、「男女の交際は、下手をするとお互いをルーズにし、不勉強にしてしまう。p156」という言葉を自分でもよく交際相手につぶやいていたことを思い出します。思えば当時付き合っていた彼は22歳でしたから、クリスチャン生活も長く30歳をすぎている前川正氏の落ち着きと愛と勤勉さに導かれた2人の恋愛関係を理想にしていた私に彼は2年半もよく付き合ってくれたなぁと感謝の気持ちを持たずにはいられません。

もう一つ気付いたのは、「私は一生かかっても三浦綾子さんのような信仰や愛を持つことはできない。」と思って読書感想画を書いた自分がなんと幼かったかということです。私の頬を流れ止まらない涙は、高校生の時にはわからなかった三浦綾子さんの辛さ、家族や友人、先生や愛人の深い愛が理解できるようになったことを示しています。私の涙は悲しみの涙ではなく、小説を通して書かれている深い愛に対する感動の涙でした。あの頃の私は三浦綾子さんのような強さを持つには24年間という闘病生活だけでなく、自分の死ぬ間際まで彩子さんを気遣った前川正さん、「神様、私の命を堀田さん(三浦綾子さん)にあげてもよろしいですから、どうか直してください。」と、たった3回の面会で祈ってくださった三浦光代という人間の鏡ではないかと思われる程愛情に溢れた2人の男性が欠かせないもので、そんな稀に見る不幸と幸いを経験しなければ彼女の立っている場所に到底行き着くことはできないと思ったのです。でも、私は闘病生活はご免ですし、まさかそんな聖人のような人に愛される経験もできるとは思っていませんでした。

しかし今、こうして飛行機で泣きながら考えてみると私にも前川正さんや三浦光代さんのような愛の人が与えられていたのです。私は泣きながら「求めなさい、そうすれば与えられる。探しなさい、そうすれば見つかる。」という聖書の言葉を思い出しました。私は読書感想画を描いた時、祈りはしなかったけれど三浦綾子さんのような信じる力と愛を欲しいと願っていました。そして彼女が感じた愛の世界を知りたいと思っていました。つまり私はあの頃から求めていたのだと思います。私を愛してくれた人達は主人も含め前川正さんや三浦綾子さんのような経験なクリスチャンではなかったし、私も闘病生活を送っていた訳ではありませんが、彼らは彼らなりに誠実に真剣に私の幸せを願い、私の醜い部分も含めて愛そうとしてくれました。よくもそんな人に一人でなく、複数と出会うことができたと感謝する気持ちは三浦綾子さんが前川正さんと瓜二つの三浦光代さんに出会った時の気持ちと変わりません。この本の主題「道ありき」は前川正が言った「綾ちゃん、人間にはね、一人一人に与えられた道があるんですよ」という言葉に支えられていると後書きに述べられていますが、実に神は私の道の中で溢れる程の愛を示してくださいました。私は自分が受けられる恵みの大きさを自分で決めつけ、自分はあんな風にはなれないと自分で決めつけていたのです。なんと傲慢なことでしょう。

しかし三浦綾子さんが生きる活力も失っていた時に前川正さんと出会ったように、そんな経験ができるはずがないと決めつけていた私にも素晴らしい愛の世界を神は見せてくださいました。
信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。p342」これは三浦さんが闘病中の綾子さんに書いた聖書の言葉です。自分には運命の相手が現れないのではないか、相手の為に死ねると思う程の愛を経験することができないのではないかと思う方は是非「道ありき」を読んでみてください。ここには真実の愛が溢れています。この本によってまだ見ていない事実を確認してください。私は自らがその愛を体験した人間として証人になりたいと思います。あなたも願えば三浦綾子さんが体験したような愛の世界を感じることができるのです。

2011/12/08 09:18 | ai | No Comments