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広告人・加藤雅章氏の場合
ROBOTの黎明期と、デジタルの黎明期の間で。
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広告業界を視野に入れ転職活動をしていたとき、声をかけられたのが当時、第一企画(現在のアサツー ディ・ケイ)から独立したロボット創業社長、阿部秀司氏(現・顧問)だった。話を聞くうち、メーカー時代に付き合いの多かった「代理店」だけが広告の産み場所ではないことに気づく。
その頃のロボットは創立4年目で、社員は20人足らず。
三浦友和の「俺のキャビン」シリーズといえば、思い出す方もいるかもしれない。
JTと、代理店を介さない直取引で、キャビンレーシングの仕事を一手に請け負っていた。
キャビンの仕事となれば全員が海外で会社には誰もいない、ということもあったという。
加藤さんはロボットで、加太孝明氏(現・代表取締役社長)のもと、半分営業のような動きもしながら、CMを作り、映像を作り、デジタルツールを作り、大量のキャラクターを作り、と色々な仕事をした。
「部署を作って人をあてがうのではなく、ニーズがあれば誰でも何でもやっていた」と振り返るロボットにインタラクティブの部署ができたのは、95年のことである。
別棟を借り、オフィスを共にしたのは、当時ロボットが映画の仕事を本格的に始めることを視野に入れた映画製作準備室。
「プロダクションが映画を作るなんて、成功するわけがない」という世論のなか、上司の加太氏は、2週間で帰ってくると言い残したまま撮影現場に3ヶ月留まったままだった。
この頃完成したのが、ロボット最初の映画作品、岩井俊二監督「Love Letter」である。
* * *
そんな過渡期のある日、ロスに滞在していた当時の阿部社長から電話があった。
「おう。ホームページ。あれ、どうなった。」
……ホームページ?
何の話か、ととっさに思ったが、同時に「チャンスだ」と直感が働いた。
かねてよりインタラクティブの仕事を本格的に始めるのだから、ウェブサイトのひとつくらいあってもいいだろうと感じていたのだ。
その後の行動は早かった。
当時、co.jpのドメインを管理していた東京大学に手書きで申請書を持って行き、帰社したその足で経理に「サーバ買っていいですか?」と出向いた。聞かれたのはひとつ。「いくらかかるの?」
すぐに、秋葉原へ中古のTowerMacを買い求めサーバに仕立てた。
その当時テレホーダイという深夜つなぎ放題のサービスから、ISDN終日つなぎ放題が始まったばかりで、「初めてのことでよくわかりません」と電話口で困惑する、NTT渋谷局区の担当者。少なくともNTT渋谷局では初めての“専用線利用顧客”だったのだ。
ほどなく「出来ました!」と阿部社長に伝えたロボットの最初の企業HPは、加藤さんが作ったカンパニーキャラクターのロボットがお辞儀をするGIFアニメだけというものだった。
* * *
2000年も目前になると、オフィスにはMacが完備され、Webクリエイティブは飛躍的に表現の幅を広げていった。
予感していたWebクリエイティブのパワーを体現したのが、2003年に公開された映画『KILL BILL』の宣伝プロジェクトだった。
「ROBOTが“フォーマット”として機能した仕事だった。」と加藤さんは振り返る。
Q.タランティーノ監督の新作として注目されたこの映画作品は、日本が舞台、撮影も日本で行い、千葉真一、栗山千明、国村隼など役者も多数の日本人が出演していたロボットはGR、Web、CM、すべての宣伝活動を一貫して受注し、日本で世界一早く宣伝を開始するという戦略を配給会社と取ることになった。
宣伝戦術のすべてを包含し、ロボットが総力戦で機能したということ以外にも、このプロジェクトで加藤さんは新たなWebの可能性を確信する。
Webが果たした役割が、クリエイティブを経由し、パブリシティの領域に及んだからだ。
スペシャルサイトには、エンターテイメントをふんだんに盛り込んでいた。
ユーザがサイトを訪問し、キーボードを触ると画面が切り刻まれたり効果音が出たりする。
勘のいい人が「KILLBILL」とタイプするとコンテンツが出てくる仕組みだが、ヒントなどない。
「すごく不親切なUI。」と語るそのインターフェイスはもちろん戦略で、このサイトを見つけたアメリカの映画記者は興奮して“クレイジーなサイトがあるぞ!”と紹介した。
話題は先行し、海外からのアクセスが見たことも無い数字のログを吐き出していた。アメリカの映画データベースサイトでは、日本のサイトがアメリカのオフィシャルのサイトとして紹介されていたほどである。
物理的距離も時差も、関係なかった。
日本でおもしろいものを作ると、世界中が反応する。
そうか、これがWebなのか――感慨にもさらに勝る実感がそこにはあった。
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次回予告/Scene4;
広告人・加藤雅章氏の場合
広告は、コンテンツ。それを生み出すための、新しい方法論を。
(11月29日公開)