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こんにちは。根本齒科室の根本です。
またまた大きく遅れまして申し訳ありません。
何しろ専門から遠く離れたことについて言及していますので、どうしても
譜読みもせず初見でピアノを弾くような違和感は終始ぬぐえないのです・・・
前回は、私たちの価値基準は江戸時代を中心に過去の歴史の影響を
大きく受けている(と思われる)と述べました。
けだし戦後は、心の中に「ムラ」を抱えたままであるものの
時代、というか周囲を取り巻く社会環境が大きく・早く動いています。
そこで、ここ数十年の変遷を「ムラ」に限らずもう少し幅広く考えてみたいと思います。
そんなとき、今回の話題に合いそうな本を見つけました。
題名は、これです。
何とも過激な題名でインパクトがあったので、思わずアマゾンで購入しました。
この本の件については、後段で述べます。
読者の皆様もも、少しの間、過去の時代を思い出していただければ幸いです。
<30年前~>
松田聖子、田原俊彦、YMO、ひょうきん族の時代でした。
とはいっても、個人的には日本の歌謡曲やアイドルにはほとんど興味がなく、
言ってみれば河合奈緒子や榊原郁恵、アグネス・ラム、武田久美子、宮崎美子など
「巨乳だったら誰でもいいや」くらいの、間抜けな子供でした。
もちろん音楽的には、よりメロディアスな洋楽ブームに先進性や夢を感じていました。
TVではなくレコパルなどのFM誌とレンタルレコード店が私たちの情報源でした。
「エアチェック」「クロム/メタルテープ」等という単語を懐かしく思い出します。
『TVばかり見ているとバカになるから新聞や本を読め』
何と言ってもコレがこの時代の一番のキャッチーなフレーズだと思います。
親も、学校の教師も、どの大人も同じように言っていたことを強く覚えています。
とくに朝日の天声人語は、大学入試によく出ると言われ、もてはやされていました。
(・・・新聞www 今考えると、普通にありえなすぎて笑えますが)
このころの歯ブラシは「ローリング法」が正しかったのを、覚えてますか?
保健室の前に張り出してあったポスターに、そう書いてありました。
また、歯医者と言うのは、薬(フェノール系)臭くて込んでいるのが常識だった。
(なぜ『歯医者』が『臭くて』『込んで』いるのか、誰も疑問に思いませんでした)
<20年前~>
国際的な大きな世相の変化としては、旧共産圏の崩壊がありました。
「自由」「民主主義」はやはり正しい。素晴らしい。
ベルリンの壁を叩く若者を見て、誰もがその当時、そう思ったことでしょう。
しかし私たちはそれらを本当に普遍的価値とまで思っていたのでしょうか?
「ソ連よりマシ」「不便はイヤだ」と思いたかっただけなのではないでしょうか?
残念ながら、高校を卒業後には、街のバブルは終わっていました。
まだユーロビートブームは続いていましたが、おいしい目には一切あいませんでした。
これらは日本の歌謡曲とは異質のリズムながら、音楽的にも王道進行が多いなど
日本には割りと合いそうに思えたのですが、当時ほとんどTVで扱われませんでした。
音楽を中心に、流行の一意性、絶対性が崩れ始めてきた時代かもしれません。
はじめて「TVだせー」「カラオケだせー」「歌謡曲(ry」と思う契機になった時代でした。
「(電通、メディアなどの)お上に流行を決めてもらうのは余計なお世話だ」
こういうことの走りだったのかもしれません。
我が家にもずいぶんとMOがたまったものです。
ただし、洋服とかは「DCブランド」といっておけば凌げるような、楽な時代でした。
個人的には、あの頃の世相の情報源は新書が中心だったように記憶しております。
私は、「ソビエト帝国の崩壊」のころから小室直樹氏のファンを自認していただけあって
カッパビジネスという新書はよく読んでいました。
当時の印象に残った本としては
「労働鎖国のすすめ(西尾幹二)」と「我、朝日新聞と戦えり(俵孝太郎)」があります。
西尾先生の本を読んではじめて移民のもたらす諸問題を正面から考える契機になりました。
また、俵氏の本で、マスメディアが基本的に国家・国民と反するスタンスの存在だと知り
インパクトの大きさに愕然としたものです。
歯医者はまだ込んでいました
実習で乳歯を使うと言うので、近所の歯医者回りをして抜去歯をもらいにいくと
「乳歯はないよ」が定番のセリフしたが、待合室はどこも患者様でいっぱいでした。
松田聖子の再婚で「審美歯科」という概念がはじめて一般社会にもたらされました。
しかし、不勉強な歯学部の学生として非常にうさん臭く感じていたものです。
なぜ歯の「治療」ごときに「美」が導入されなくてはいけないのか?
歯科も外科や内科などの一般的医療と同じと思っていた私には、分かりませんでした。
<10年前>
世の中はバブル後の不景気が長く続き、「失われた10年」と言われています。
しかし、なぜ不景気が長引いたのかについては、報道のせいで誰も知らなかった。
騙されて「国内の既得権益のせいだ」と誤った考えを持っていた人が多かった。
「官僚ガー」「族議員ガー」「利権ガー」「土建ガー」etc
スケープゴート。村八分以来の日本人の悪いクセです。
そのせいで米主導の構造改革詐欺にまんまとひっかかってしまいました。
長引くデフレ。雇用格差。
まさか「自由」と「民主主義」が私たちを破壊するとは思っていませんでした。
この時代の世相の大きな変化は、携帯とインターネット(Windows95)の登場です。
「検索」の概念が一変し、学習や情報アクセスの意義が根本から変わりました。
以前からの「物知り」といわれた人物がいっせいに役目を終えた時代でもあります。
また、株や先物、FXなどの投資も急速に個人ベースで営業マンを介さずに
インターネットを通じてアクセスできるようになったことも大きな変化でした。
今は下火になったようですが「税金のいらない銀行」「永遠の旅行者」
などという本もだいぶ売れたと記憶しています。
これは資源学や経済よりも歯科で書くべきだと思うことですが、
2001年に商品先物で「パラジウム」が歴史的暴騰を記録しました。
このことが歯科材料に大きな変革をもたらしました。
もともと歯科と工業触媒と宝飾で3案分していたパラジウムですが
このせいで「すみませんが保険の銀歯はあまりに不採算なので当院では・・・」
という残念な事案が頻発してしまいました。
そのかわりに『金属代替材料』としてのセラミック系素材が一躍進歩しました。
「ハイブリッドセラミック」「グラスファイバー」「ジルコニアCAD/CAM」etc
このことで審美歯科や前歯部の修復が一変してしまいました。
現在では欠損修復においては第一選択と言っても過言ではないほど重要な素材です。
もうひとつ歯科で大きな出来事となったのは、予防歯科の普及です。
なかでも熊谷崇先生(山形)と内山茂先生(埼玉)の成功がひときわ目を引きました。
早期発見早期「治療」 から 疾患「抑制」 へと大きな概念的進歩を提示しました。
つまり、痛くなくても半年に1回など定期的に検診と専門的清掃をして
日々のプラークコントロールや生活習慣もプロのコーチング下に置くことで
「そもそも」むし歯や歯周病が発生しない、という、「そもそも論」への進化です。
<現在>
ついにTV、新聞などのレガシー(既存)メディアの信頼性は地に堕ちました。
「『国』の借金」という言葉のウソが衆目の下に晒され、国債の安心感がむしろ増大。
長期金利はびくともしません。
同時にデフレ不況の正体と、誰が真犯人だったかもバレました。
そして今回のTPPにまつわる一連の欺瞞的報道、そして原発事故時の隠蔽体質で
レガシーメディアの敗北は誰の目にも決定的なものになりました。
もう40代以下の世代では、報道を鵜呑みにする軽率な人間などほとんどおりません。
ネットを通じて「複数のソース」による比較検討と、自由な議論での「集合知」の形成
すなわち新たな「情報リテラシー」の確立がなかば常識化しつつあります。
エンターテインメント方面においても、大きな変化を迎えています。
プロ野球の地位低下は目を覆うばかり、むしろ高野連が逆差別なので解体しろとの声すら
少なくありません。ひところを考えると信じがたいものがあります。
サッカー人気も下火で、日本代表も中田英寿以降はあまりぱっとしません。
一部の海外組の選手も最近はインフレ状態で、Jリーグは実質的に非常に残念な状態です。
気がつくと、オリコンチャートの上位はジャニーズと韓流とAKBの寡占状態です。
音楽配信も携帯やiPodなどが主流となり、メジャーレーベルはどこも火の車と聞きます。
また、さまざまな若者向け雑誌も苦戦しているところが多いようです。
思えば以前は、TVのブラウン管の中は、今よりもはるかに身近に感じられたものでした。
ドラマの俳優や、お笑い芸人は、まるでその辺の知人のようですらありました。
ワイドショーのパネラーやコメンテーターはまるで代弁者のようですらありました。
巨人戦やプロレスの試合はまるでいつも街の近所で行われているようですらありました。
今はもう、既存の枠組に満ちた地デジモニターなど、何を見ても完全に他人事です。
若い方々を見ていても、以前に比べてスタイルの系統や流行が、無くはないのですが
カオスとも言える程細分化されてきていて、とても一括りにはできないように思えます。
昔のような「服はDCブランド」「遊びはカラオケ」などの安牌が存在しないのです。
これらをまとめると「脱・上意下達」「ゆるやかなカオス」の時代ともいえると思います。
歯科ですが、先達の成功に触発されて、予防歯科が一時業界内で流行りかけました。
しかし少なからぬ医院で、採算性の面から挫折し、以前の治療中心主義の状態への
ゆり戻しの傾向も見られます。
なによりも、(現制度の適正数から言えば)あまりに過剰に歯科医師が量産されすぎ
(じつは先進国レベルで見るとごく平均的な数値なのですが)、(現制度の制約下では)
経営困難に陥り、廃業する歯科医院が後を絶たないという問題も顕在化してきました。
現在は、年間2~3千軒が新規開業し、ほぼ同数が廃業していると言われています。
廃業した中には、まだ若く借金を多く抱えた歯科医師も少なくなく、同情に堪えません。
あたりまえのことですが、みんな歯の治療はイヤなのです。
それなのにどこも「『治療』します」「削ります」みたいな看板で店を開いたって、
誰がどう見ても敬遠されるに決まっています。必然的に足も遠のきます。
歯医者の治療が好きで通っている人など、普通に、いません。
たまにネットなどで目にする「予防がどうの」などの情報は気になっていたが
ある日急に歯肉が腫れた。
重い腰を上げて歯科医院にいったところ、なんと
「もう手遅れですね。抜いて入れ歯かインプラント・・」
これでは患者様もたまらないだろうと思います。
むし歯にも歯周病にも「なったことにすら気がつかなかった」のに、もう手遅れ???
生半可な気持ちで予防に取り組んでいる歯科医師は、やはりショックを受けます。
(なんでもっと早く診られなかったのか!「運」の悪い患者様だ)
このように、すでに治療中心主義の限界や矛盾が、多々現実化しています。
でも患者様も、歯医者の敷居は高いし、どこに行ったら良いのかも分かりにくいです。
歯科では「脱・上意下達」「ゆるやかなカオス」の手前の時代ともいえると思います。
予防が普及してみて、審美歯科について個人的にひとつ分かったことがありました。
審美歯科というのは、当初は一部誤解されて伝わったところもありましたが
本質的には、その人本来の機能と形態を十分に引き出し、ないしは再現する考えです。
たとえば説明もなく汚い充填物をあちこち詰められたりとか、矯正しないばかりに
むし歯だらけになったとか、差し歯にしたら根が割れて抜歯とかブリッジが共倒れとか・・
誰もそんな風になどなりたくてなったわけではないのです。
「私たちは知らない間にいろいろやられてしまっていた」
「こんなはずではなかった。侵害された私の歯の権利を返して欲しい」
それが、一昔前からは審美歯科になり、インプラントになったわけです。
当然、そのようなことを防止するため、次世代以降では予防歯科であるべきなのです。
<まとめ>
昔は良いと思っていた多くの概念が、今やオワコンで完全に使えない概念に変化しました。
もちろん、それが複雑に入れ替わったり、その逆になることも多いですね。
「自由と民主主義をもうやめる」に戻ります。
社会学や歴史的にはいろいろあるのでしょうが、私たちの多くが「自由」「民主主義」を
最初に刷り込まれたのは、旧共産圏・東側陣営との比較の中でではないしょうか。
何か言うと秘密警察に逮捕されるとか、一党独裁とか、娯楽が画一的でつまらないとかetc
だから独裁は悪い、「自由」「民主主義」が良い、という文脈です。
確かにそうではあるのですが、私たちの場合は「自由」「民主主義」のところに、
もっと別の単語が入った方がよりしっくりくる人のほうが多いのではないでしょうか?
たとえば「きゅうくつでない」「融通が利く」「便利な」「暮らしやすい」etc
「自由」「民主主義」とか言ってしまうと、ほとんどの場合、言っている人のほうが
「もう何でもあり」のような気分になってしまうのでは仕方ないのかもしれません。
さすがに何でもあり、ではまずいようです。
憲法12条にも「国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」
と書いてあります。
それは、「自由」「民主主義」の本質は、実際に「何でもあり」の世界だからです。
たとえば中世の絶対王政や徳川幕府の時代は、いかにも窮屈な感じがします。
しかし駆け込み寺のような伝統的・宗教的権威があったり、五人組などのような
間接統治が実態だったり、よく見ると完全制圧の時代ではありませんでした。
これがヒトラーなどのファシズムの時代になると、伝統や宗教、因習が力を失い、
国家権力による絶対支配・完全制圧が確立してしまいます。
これは、それまでとは全く違うことです。
じつは現在の西欧の「自由」「民主主義」は、このような時代を経てきているので、
行動規範の中でも原理的に相当厳格なものがあります。
そのような「自由」「民主主義」が本気を出すと、ファシズム同様、伝統や因習が
全く力を失ってしまいます。その辺の話し合い等とは桁が違うのです。
そのような絶対的な国家権力を、安全策として建前でも国民一人一人にバラバラに
分解しておくのが、現代の国民主権・民主主義という知恵だと私は考えます。
このような絶対的な権威を経験した社会で、無分別な放縦を認めることは危険です。
たとえば経済的に無分別な自由を認めると、いわば総合格闘技、ジャイアニズム
の世界にすぐ突入してしまうのは、繰り返し歴史が教えるところです。
しかし民主主義といっても、わが国は歴史上、実力で自由や民主主義を勝ち取った
経験はありません(曲がりなりにも経験した韓国や台湾ともだいぶ事情が違います)。
西欧キリスト教的な市民感覚と言うよりは、心の中に「ムラ(空気嫁や共同絶交)」
を抱えた、特に都市部ではバラバラな個々人が、集合離散を繰り返しているのが
21世紀型ムラ社会の実態なのではないでしょうか。
ただ私は、それが悪いとは(共同絶交には問題があると思いますが)言っていません。
私たち日本人の肌には、西欧的な市民感覚や社会科学的なお題目よりも
(心の中の「ムラ(という因習や行動原理の塊)」にとって便利な範囲内で活用しよう)
という考えのほうが、ほとんどの方の場合、しっくりくるのではないでしょうか。
ここ30年は、既存の価値観が大きく変化しています。
自由と民主主義でさえ、根本的な点検が求められている時代?かもしれません。
しかしおのおのの判断基準は変わってきているものの、
判断基準を変えていく人の側の行動様式は、永年変わっていないように思います。
(でもよく騙されてますよね。「抜本的改革」とか「国際化」とか「自由化」とかの単語に)
そういう、日本的な部分も、安定性や勤勉性という側面から再評価されるべき
時期に来ているのではないでしょうか。
しかしそれには、具体的な面でのいろいろな正しい知識の普及が大事です。
自由や民主主義という概念は、日本史の中では、憲兵が暴れまわった翼賛時代と
ほぼ同じか、それ以上にラジカルな本質があります。
しかも基本的には非暴力的で安全です。
社会の不条理や不利益を改善していくには、かなり有効な一石でもあります。
(それは、自由や民主主義とは全く無縁の「官僚」を見ているとよく分かります。)
逆に誤った知識の普及や正しい知識の隠蔽があると、今の世の中では、
封建時代よりもさらに強力に社会の悪化や停滞につながる恐れが大だからです。
これは社会についても、医療や歯についても、生活全般についても、同じだと思います。
【今回のまとめ】
自由や民主主義は予想外に鋭い刃物だからこそ使用者の広く深い見識が試される。
p.s.
もう評論家の真似事はコリゴリです。この1ヶ月、ずっと精神的バッドトリップでした。
次こそは歯のことを書きます(とかいって、たまにまた変なことを書くかもしれません)