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2011/11/07

帰ってくるよ、と着信があったので私は掃除を開始することにした。
濡れた雑巾でささくれた窓枠を拭き、狭い家の中のあらゆる場所に掃除機をかけ、伏せたままの雑誌をまとめてラックへ整頓する。部屋の中が片付いていれば気持ちがいいのは当たり前で、その当たり前の状況を自分でも作り出すことができるという充実感が足の先から頭のてっぺんまで麻薬のようにとろかしていく。
あなたが帰ってくる場所は、いつだって清潔で快適な場所がいい。
二時間かけて片付けた部屋を見渡して、私は鼻歌を歌いながら次の準備を開始する。

真昼間のスーパーマーケットに行くのは久しぶりだ。
いつもは行かない、少し遠い場所にある店に行く。値は張るけれど輸入食材が結構揃っている店の中はキラキラと明るい。無農薬の真っ赤なトマト、少し虫がかじっている新鮮なホウレンソウ、国産の霜降り肉、フィンランド産のカマンベールチーズ。自分一人では決して選ばないきれいな食べ物を次々にかごに入れて、私はあなたの顔を思い浮かべる。
あなたが口にするものは、この世で一番おいしいものがいい。
好物のスペインワインも無事購入し、私は猛然と部屋に帰る。

あなたはいつも私の傍にいられるわけではない、というのは最初から知っていたことだ。
日本とあの国は結構遠い。頻繁に帰ってこれるほど暇でもないだろうし、私だってあなたを訪れていくことは難しい。たわいない電話すら時差のせいでまだ一度もしたことがない。私たちを繋ぐのは飛び交いあうメールや絵葉書で、さっきの電話は一年ぶりに聞く肉声だった。

あなたは、今空港からモノレールに乗ってJRに乗り換えて複雑に入り組んだメトロに乗って、帰ってくる。長い長い旅は休暇の始まりと同義である。
その労力に見合うだけの部屋を整え、料理の下ごしらえをして、私は自分を磨きたてることにする。入浴する時間はないけれど、化粧と服装は直せるだろう。
あなたはやっと帰ってくる。
待っているのは清潔な部屋、美味しい食事。
あなたにおかえりというとき過去一番きれいな自分であるために、私はゆっくりクローゼットの扉をあける。
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花言葉:先駆者
*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。

2011/11/07 06:57 | momou | No Comments