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これから書こうとしているのは、
「チェルノブイリのいま」を切り取ったレポート。
事故から25年。
いまだに、現在進行形で事故処理が進むかの地を、たった1日踏んだだけで、
わかったように何かを語るつもりはないけれど。
ただ。
放射線に対しても、災害支援に対しても、ズブの素人が、いまできること。
それはたぶん、考えることを止めないこと。
このレポートが、誰かの考える種になってくれれば、と願って止まない。
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2011年9月某日。
ウクライナの首都キエフ。
その中心地である独立広場から、そのツアーはスタートした。
日帰りチェルノブイリツアー。
料金、US$160。
高いのか、安いのか。
わざわざカネを払って危険に身を晒そうというのだから、
参加するのは相当な物好きだけだろう…と思っていたのだが、
ところがどっこい。
居るわ居るわ、その数、およそ30人。
地元客も混じっていたのか、直接確認したわけではないのでわからないが、
自分を除く全員がヨーロッパ系の白人。
ロシア語、フランス語、ドイツ語などなど、バス内はさながら国際会議場。
年齢層は自分と同世代かもっと若いくらいの層が多い。
もしかしたら、アフター・チェルノブイリ世代も居たかもしれない。
4人グループで参加している若者。
デカい望遠カメラを抱えたカップル。
奥さんに見送られ、一人バスに乗り込む壮年の男性。
皆、軽い気持ちでこのツアーに来ているわけではないのだろうが、
存外、和気あいあいとした雰囲気に包まれている。
そんな中、どことなく所在無さを感じながら、一番後方の座席に陣取る。
キエフを発ったバスは、真っ直ぐ北へ。
景色は一様に続く、森と草原。
北へ近付くほどに、走る車の数は目に見えて少なくなっていく。
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出発から2時間。
ついに、30kmチェックポイントに到着。
全員のパスポートチェックが行われ、いよいよゾーン内に入る。
ほどなくして、政府関係者が滞在、勤務する地区へ。
ところどころ、打ち捨てられ廃墟になった家も見られる。
本来、居住は禁止されているのだが、
一般の住民も180人ほど居るらしい。
一度は避難したものの、住み慣れた土地で最期を迎えたい、
と、この地に戻ってきたお年寄りも多いという。
まずは、会議室のような場所に通され、
担当の若い女性ガイドから30分ほどの簡単なレクチャーを受ける。
…もちろん英語で。
原発関連の専門用語の英訳を予習しておいて良かった。
その後、「後で放射線障害とか出ても文句は言いません」
という主旨の書類に全員がサインをする。
当然、ここまで来ておいて駄々をこねるような輩は居ない。
遂に、チェルノブイリ域内のツアーがはじまる。
一見、何の変哲も無い街の中を走る。
ふと、街の至るところに、
パイプラインのようなものが張り巡らされていることに気付く。
「地中は放射線量が高いので、水道管は地表にあるんです」
涼しい顔をして、ガイドは答える。
少し、背筋が寒くなるのを感じながら、バスは前進を続ける。
(続く)