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2011/10/29

新暦の10月に入る頃は、旧暦の七十四候の第48候、「水始涸」(田畑の水を干し始める)にあたります。(*)
それからほぼ一か月、いよいよ稲刈りの頃が近づいて来ました。

朝に夕に、日毎色を深めて金色に輝く稲穂の海を眺めつつ百姓としての幸せを噛みしめる、川口です。

今日の日暮れ時には、松明を掲げた一団の人々が太鼓を打ちながら田の中の道を行進して荒神様へと歩いてゆきました。やがて荒神様の境内で大きな焚火が燃え上がり、深くなりゆく闇へと煙と共に静かに紛れて消えて行きました。今年も再び荒神様が再生したのです。

こちらが今の我が田の稲たちです。

こうして色付きゆく稲穂の姿は誠に何物にも換え難く美しく、何とも言えない豊かな歓びに満たしてくれる光景ではあります。
が、それは同時に稲たちの枯れ衰え滅びゆく姿です。

4月に苗代に降ろされた一粒の籾から生まれでた幼い命が、やがて立派に生長を遂げ、花を咲かせ数千の新たな命を宿し育む。そしてたわわに穂を実らせました。

しかし、この営みを全うして数千の命を残すと同時に、それらの稲たち自らは滅んでゆきます。ちょうど荒神様が生まれ変わるように。その間およそ6か月。

数千年、或いは数万年前に人類が栽培を始めて以来、停まること無く続けられて来たこの稲の生命の巡り、親から子への生命の移り替りの姿は、美しいと同時に、実に峻厳な有り様でもあります。

しかし、稲以外の草ぐさたちの命から眺めるならば、一粒の稲の種籾がこうして立派な株に育つことが出来たのは、私が稲に手を貸してそれら他の草ぐさが生きる場を奪い、稲の育つ場を確保したからこそ。今、こうして立派に子孫を残して死んでゆく稲の姿のあるのは、実はその稲に命の場を譲り(わたくしに命を奪われて)子孫を残すこともなく滅んで行った数えきれない程の命の死があったからこそでもあります。

そうした数えきれない命の死があってこそ稲は無事育つことが出来る。そして、私は、そうして育った稲の子供たちの命を頂くことで命を繋いでゆく。

おのずから生まれ育ち、おのずから子孫を残し、おのずから死んでゆく…。そんな命の営みの定めに沿って稲は命を実らせ、私はその実った命を食べて自らの生命を養う。

不思議というには余りにも不思議な、絶えることの無い生命の繋がりに驚かされるばかり、秋はそんな季節です。

*) 今のお米農家は重い農業機械を使って稲を刈る為刈り入れ前までにしっかり田を乾かしておかねばならず、その為に8月の終わり頃からはもう田に水を入れないようになったのですが、昔ながらに手刈りするわたしの場合はこれから干せば充分ですし、稲の生育の為には実は10月頃までは田に水をいれておくのが良いようです。

2011/10/29 12:02 | kawaguchi | No Comments