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2011/09/08

「そうだ。素晴らしい地図が完成したご褒美になんでもひとつ、好きなものをあげよう」

父が言いだしたのは、食事を終えて食後のコーヒーを飲んでいるときだった。満腹につきもののぼんやりした幸福感と、それをわざわざ演じているような不思議な緊張感がわたしと父との間に流れた。テーブルの下で手を繋いだままの勝郎くんは、それを敏感に感じ取って、ぎゅっ、と力をこめて握ってくれた。わたしの覚悟を受け止めるように、強く。

「なんでも、ですか?」
「そうだ。わたしに二言はない。変な気づかいは無用だよ」

得意そうな父はわざとらしく胸を反らして、勝郎くんの顔を見つめた。
挑発しているのか、それともからかっているのか。俯いた勝郎くんの瞼が震えるのが視界に入った。どうしたんだろう。いずれにしても、勝郎くんはすこしたじろいだみたいだった。励ますように、わたしは指先で勝郎くんの拳をタップする。ダメでもいい。わたしは絶対傍にいるよ、って伝わればいいと思った。

勝郎くんはゆっくり顔を挙げて、深呼吸でもするように大きく、静かに言った。

「では、遠慮せずに言います。お嬢さんを僕にください」
「……娘を?」

顔をあげていられなくて、わたしは握り合った手に力をこめた。勝郎くんの手もぎゅっと力がこもっていて、痛いくらいだ。母の視線を感じる。俯いていてもわかる。はらはらしているのと、面白がっているのが半分半分のまなざしがちりちりと項を焼いていくようだ。

「お前も、合意の上か」

だからわたしは俯いたまま頷いた。耳が熱い。じりじり、熱が上がる。気持ち悪い。風邪をひいているわけじゃないのに、熱を出したときみたいに、震えが止まらない。ああ、ダメだ。このままじゃ、わたしは父に許してもらわなければならないのに。

「……お前も知っていたんだな。わたしだけ、知らなかったのか」
「あなたはずっと忙しかったものね。見ていたら気づいたわ、きっと」

この二人ったら恋してる、って感じ、出まくりだったもの。
母の明るい口調に、勝郎くんが出てましたか、なんて軽口で答える。
軽妙に。軽妙さを、装うように。

「まあ、なんだ。娘も納得しているようだし、君ならやぶさかではないよ。なんだ、その、好きなんだろう? 二人とも」

勝郎くんは頷いた。もちろん、わたしも。父は苦いものでも食べたような、変な顔をしていた。吹きだしそうになって、あわてて下を向いて誤魔化した、その瞬間、ぐっと胸の中心から何かがせり上がってきて、あいている方の手で口元を押さえる。心臓が耳から出てしまいそうなくらい、鼓動が速い。
背中に汗がつっと伝った。

「ありがとうございます。やっぱり、光造さんなら許して下さるだろうと思いました」

勝郎くんは少し固い顔のまま、ちらりと伺うようにこちらを見た。わたしはこみ上げるものを抑えるのに必死で、その合図に気付かなかった。一瞬だけ勝郎くんは眉を寄せて、大丈夫かと聞いてくれた。

「大丈夫。続けて」
「でもさっちゃん、あなた……そんな真っ青な顔して……」

少し横になって休んだら、という母の言葉を振り切って、もう一度大丈夫だとわたしは答えた。切り口上になったのは吐かないように堪えていたから他意はないのだが、なぜか母は自分が辛いひとのように顔を曇らせた。父も同じだ。わたしにひたすらに甘く、愉快な大人であった父が、しおれた花のような頼りなさでわたしを見ていた。勝郎くんは泣きだしそうな顔をしていた。

「わたしの将来の話だもの。続けて。お父さんとお母さんに、わたしも言わなきゃいけないことが、あるの」

言わなきゃいけないことは山ほどあった。勝郎くんとのこと。父の夢を壊したこと。母の優しさに甘えたこと。そして、……ああ、頭がうまく働かない。今はとりあえず、この気持ち悪いのをどうにかしなければ。

逡巡しているわたしを見て、勝郎くんは言葉を続けた。

「僕はお嬢さんと結婚したいと思っています。両親にも、そう言いました」
「うん。それで?」
「ところが、前橋の娘とだけはダメだというんです。結婚は構わないが、それだけは許さないって」

(――え? 今、勝郎くんは、なんて言った?)
わたしは混乱した。結婚はしてもいい。でも前橋の娘とはダメ。わたしとだけはダメ。なんで? どういうこと? 会ったことも話したこともないわたしの、どこかどう駄目だというのだろう。視界がぼやける。あ、泣く。瞬間的に、瞬きをして我慢する。どうして。

わたしの混乱を余所に、父と勝郎くんの話はどんどん続いて行く。

「父に理由を聞いても教えてくれませんでした。駄目だの一点張りでした。なぜですか」
「君の、……勝郎くんの、親の名前は」

あえぐように父は言い、勝郎くんはきちんと名乗った。

わたしが耐えられたのはそこまでだった。どうしようもなくこみ上げてきたものをこの場で吐き出してしまう前に、わたしは一番近い洗面台に飛び込んで、胃のなかがからっぽになるまで戻し続けた。いつの間にか母が来て、わたしの背中をさすってくれた。どうしたの。緊張したの? 大丈夫よ、大丈夫よと母は丸めた背中越しに話しかけてくれた。わたしだってそう思いたかった。わたしだけは駄目。前橋の娘とだけは駄目。声を聞いたこともない人の拒絶の声を聞きながら、わたしはただただ醜い声を洗面器に向かって呪いのように吐き出していた。

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※この物語は2011年9月11日に上演されるJunkStage第三回公演の物語を素材としています。(作・演出・脚本 スギタクミさん)
※このシリーズは上記公演日まで毎週月・木曜日の2回公開していきます。…という予定でしたが、公演開始日までに終了させることができないため、今週は毎日更新です。申し訳ありませんが、いましばらくお付き合いください。

2011/09/08 08:06 | momou | No Comments