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2011/09/05

さて、結婚である。
わたしはあまりにも子供すぎて、イメージとしての結婚は理解していたけれど現実的な結婚、というものを全く理解していなかった。
つまり父が許すかどうか、という問題である。

勝郎くんは絵描きだ。父は芸術に理解のある方だけれど、だからといってそれとこれとは話が違う。いつか、聞いたことのある父の夢は一人娘のわたしに婿を取っていずれ事業を継がせるのだということだった。和やかな雰囲気の中で、まだ幼い娘を膝に抱いて、父はきっと夢見るように話したのだろう。

お前はうちの大事な跡取り娘だよ。

わたしはこの言葉を何度となく聞かされ、納得し、そのたびに笑顔で頷いていた。恋人の一人も出来ればもしかしたらを考えたのかもしれないけれど、わたしは今の今まで恋人どころか男友達すらいなかったのだから、父の刷り込みをごく当然に受け入れていた。
でも。わたしがお婿さんを貰うにしても、勝郎くんが父の仕事を手伝うなんてことはおそらく無理だろうと思った。勝郎くんは絵筆を置ける人ではない。いや、置かせてはならない人だ。
そして、それ以上に彼の仕事を厭う両親と同じに、父は実務的な人間である。
芸術を解し、美しいものを愛しても、同時進行で事業の拡張や統廃合や貸借対照表やPDCAを考えられる人間である。だからこそ、父はあれほどきれいなものを愛しながら、一切自分で何かをしようとはしなかった。
その気になればいくらでもチャンスはあったのに、ただの一度も手を出そうとはしなかったのだ。

そして。勝郎くんはきっと、その逆だろう。美しいものを生み出すこと、心に焼き付いた色彩を再現すること、作り出すことには天才的な才能を持っているけれど、経理や労務やいろいろの交渉や事務的な細々したことも、きっと得手ではないだろう。したくもないし、考えたことだってないだろう。わたしだってさせたくない。そんなことをしていたら、勝郎くんは絵を描くことが出来なくなる。
勝郎くんだってやれば出来るかもしれないけれど――わたしはそれを彼に強いたくなかった。
甘ったれているかもしれないけれど、彼には絵だけを描いていてほしかった。だから、父が受け入れてくれたとしても、娘とその婿とでともに事業に携わる、という夢は叶わない。

そして家のこともあった。
家格なんて変な言葉だけど、実際には存在する。陰湿に、けれど厳然と。だからこんなバカみたいに大きい家に生まれたからには相手だって相応のところから、なんて意見もあるわけだ。主にそれらのご意見は高校生のころからちらほら持ち込まれつつあったお見合いの釣書を見ての親戚の考えだったけれど、無視するにはこの家は大きすぎ、父は財産を持ちすぎた。

「たぶん、二つ目は大丈夫だと思うよ」

絵の完成を目前にして、勝郎くんはそんなことを言う。しおれているわたしを励ますように。

「おれの両親が許せば、だけど。たぶん大丈夫だと思う……断言は、出来ないけど」
「どういうこと?」
「つまりおれの家もそれなりにお金があるから。こうやって、ろくでなしの息子一人養えるくらいには、裕福ってこと」

理解できないわたしに勝郎くんが上げたのは、ある企業の名前だった。勝郎くんの名字と同じ音の入った貿易商社だ。うちのように手広く仕事をするというよりも、ユニークな商品構成で名をはせる、テレビではよく見かける名前の会社である。

「そこの息子なんだ。さっちゃんちとは比べものにならないけどね」
「十分じゃない!」

わたしは勝郎くんに巻きついて締めあげた。くるしいくるしい、と勝郎くんは呻いていた。呻きながらふたりでもつれあって、じゃれつきながらくるまりあう。神様!わたしは胸一杯に勝郎くんの匂いをすいこんで、初めて神様に感謝したいほどの幸福感を感じていた。

問題は半分に減った。
そして、わたしの心も決まってしまった。
父には悪いけれど、許してもらうことにしよう。そのぶんわたしが頑張って父の仕事を手伝うのだ。父の願いを叶えてあげられないのは胸が痛むけれど、ある意味で尤も難関だろうと思われた親戚連中には文句を言わせない勝郎くんの血筋。大っ嫌いだと会う前から思っていたご両親にも感謝しなくては!

わたしは本当に幸せだった。勝郎くんも照れくさそうな顔をして、やっぱり幸せそうな顔をしていた。ふたりともゆるみきった顔で、明け方のベッドで、深夜のアトリエで、結婚式や旅行の話や、やくたいもない未来の話ばかりしていた。

「おれ、さっちゃんみたいな子が欲しいな。きれいな名前がいいな、女の子だし」
「どうして女の子だって思うの?」
「だって、そしたらすごくかわいい」

ばか、と言ったら勝郎くんはニコニコ笑ってばかだもん、なんて言うから、まだ見ない子供の名前の話もたくさんした。美しい名前にしよう、いや色の名前がいいよ、鮮やかな空の色がいいね、この世でいちばんいい名前をつけようよ。

そんなことばかり話していて、わたしは自分の身体がその未来に追いつこうとしていることに気が付かずにいた。毎月順調に来ていたあの印が、そういえばあのころから止まっていたのだと、気付いたのはすべてが終わった後だった。

next  vol.11→9/6公開

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※この物語は2011年9月11日に上演されるJunkStage第三回公演の物語を素材としています。(作・演出・脚本 スギタクミさん)
※このシリーズは上記公演日まで毎週月・木曜日の2回公開していきます。…という予定でしたが、公演開始日までに終了させることができないため、今週は毎日更新です。申し訳ありませんが、いましばらくお付き合いください。

2011/09/05 07:57 | momou | No Comments