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それから、勝郎くんはいろんなことを少しずつ話してくれた。
わたしも自分のことを少しずつ話すようになった。
キスもしたし、それ以上のこともした。
わたしは相変わらずこの家から出るときはひとりでというわけにいかなかったので、デートだけは出来なかった。でもそれ以外のことならなんでもできた。自分にとって初めての出来事が、ほとんど全部この家の中でひっそりと行われたということを、いまのわたしは酷く意味深なことに感じる。わたしにとって、この家は箱庭みたいなものだった。世界はここにしかないとでもいうように、わたしにとって善きものだけが集められた、小さくてやさしい世界。
自由に羽を伸ばすことのできていたあのころを、わたしは時折懐かしさとともに思いだす。
そこには、何がしかの痛みの記憶もうすい靄のようにまとわりついてはいるのだけれど。
親しさが増すにつれ、勝郎くんはそれまでに描いた絵も見せてくれるようになった。
クロッキーノートには見たことのない外国の景色や美しい建物や何でもない日常のようなものが鮮やかなタッチで切り取られている。
父の蒐集癖のせいで眼だけは肥えていたから、それらがどれほど素晴らしいものであるかはすぐにわかった。一枚の絵から、その街の空気感、のようなものが伝わってくる。どんな匂いがしてどんな人が住んでいるのか。どんなことを喜びどんなことに悲しむのか。見たこともあったこともないひとたちが、その町で生活している感じがじかに伝わってくるような素描だった。
「コンクールには出さないの?」
勝郎くんは絵筆を止めて振り返る。
「出したことないよ。生活費は貰ってたし、そういうの、みんな嫌がるって思ったから」
「でもこんなに凄い力があるのに。勿体ないよ」
「ありがとう。でも、うぬぼれかもしれないけど、出せば賞、獲れる気がするでしょ」
頷くと、だからダメなんだと勝郎くんは口元を少し歪めた。朗らかな勝郎くんには似合わない、どこか陰気な笑顔だった。
「名前が出ちゃいけないんだ。家族の顔をつぶすことになるから」
淡々とした口調だったけれど、少し声が震えていた。
next vol.8→9/1公開
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※この物語は2011年9月11日に上演されるJunkStage第三回公演の物語を素材としています。(作・演出・脚本 スギタクミさん)
※このシリーズは上記公演日まで毎週月・木曜日の2回公開していきます。