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「私はほめられないとダメなの」という友人が多々います
学生時代サークルでリーダー引き継ぎやら歴代のリーダーのいいところで
「いいね。でももう少しこうするともっとよくなるよ☆」と言うところ
できたり、よくなったら「そうそう★」と言ってくれるからやる気がでる!
という意見を見て、目から鱗だったことがあります
二十歳そこそこの大人が「よくできました☆」的に褒められてもなぁとひねくれた心を持っていた私です
教育機関…幼稚園小学校中学校ではこの方針が必要なんでしょうね
私は実際、今まで褒められずけなされて「なにくそ」根性で生きてきたと思ってます
だから、この歳になって
「よかったよ」と言われると照れるというより、どういう反応をしたらいいかわからない
だって置かれている環境が、出来て当たり前な世界だから
出来てなかったら次のない世界だから
今までけなされてきたのは「一般レベルだとまぁそこそこ。でもそれでは上にはいけない。リピートされない。
目に付かない。相手にされない。」
と各先生方、そして、両親は言ってきていたんだと思います
ここ最近またも考えていることは
「今志しているもの、励んでいきたいもの、レベルアップしたいもの…
これ…全部を辞めたら相当楽になるな」ということで
スランプの時期なんかはこれしか考えてなかったときもありますが…
また違った気持ちで考えています
辞めりことはいつでもできる…。と
今朝、母に
「踏ん切りをつけなきゃいけない日がくる」と言われてしまいました
4年前にバイト先の仲間に
「そういうのはさ、期間を決めてやればいいんじゃない?何歳までとかね。」と言われました
私は期間を決めるなんてことは大嫌いです
いつ転機がくるかもわからないから
ただ一つ言えることは
何事にも「辞める」「むいてない」と決めるのは
自分の感覚でしかないということ
親や先生方から「お前辞めろ」と罵倒を浴びせられてても全くもって辞める気なんて起きないのに
ふと、やめてしまったら楽だな…と簡単に感じてしまうのは
こういうことかなと思うのです