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勝郎くん、というのは最近うちに住み着いた絵描きさんだ。
なんでもモンマルトルだかどこだかで絵を描いているところを父に拾われてきたのだという。溌剌とした笑顔の、でも育ちがいいんだろうなと思わせる動作の美しい青年はひまわりのような笑顔とその柔らかい作風で父をノックダウンしてしまったらしい。
彼は将来大物になるぞ。
そんなバカみたいな台詞を興奮気味に言いながら、出張に行ったはずの父は仕事のほかに勝郎くんを連れて帰って来、それからというもの与えられた部屋の中で彼はまいにち絵を描いている。
描いているのはこの家の見取り図なのだそうだ。
父いわく、「広すぎて自分でも何がなんだかわからない」という敷地を勝郎くんに案内するのはわたしの役目だった。初めて接した同じ年頃の男の子は、きらきらした眼で庭をめぐり、父の自慢のコレクションを眺め、母の育てたばらを絶賛した。その言葉に嘘が無いことは弾んだ口調からも紅潮した頬からも伝わってきて、彼はすぐに我が家に溶け込んだ。まるで何年も前から、ここにいるひとのように。
「いいうちだよねえ。おっきいけど、こじんまりしてる気がする」
「そうなの?」
「そうだよ。いいなあ、おれ、このうち好きだな」
勝郎くんは誰からも愛されるだろう、愛されないはずがない、とわたしは思った。こんなにも素直に感動し、それを率直に口に出すひとにわたしはそれまで会ったことがない。乏しい語彙のなかから繰り出されるすごい、だとか、いい、という言葉。今までこのうちを訪れた人の言うそれらの感想はつきものの、うそくさいお世辞の匂いは欠片もなかった。だからわたしはそんな家に住むことが出来ているということにひどく幸福な気持ちを感じたし、父や母もたぶんそうだったのだろうと思う。
勝郎くんは我が家の愉快な客人だった。
他人とこんなに長い時間一緒にいるのは初めてだったけれど、それがひとつも苦ではなく、嬉しかった。見慣れた部屋が知らない場所であるかのように新鮮で、親しんだ庭がもっと好きになりそうで、勝郎くんの声が聞けない日は寂しくなった。
だから、わたしは案内と称して彼のとなりにいる時間を増やしたし、見取り図の完成時期を注意深く観察していた。パリから直行でこの家に来た勝郎くんの荷物は異常なほど少なかった。与えられた部屋に新しく荷物が増える気配はない。ひとが暮らしていれば自然と増えるだろう雑貨などのこまごましたものも、勝郎くんは意識して増やさないようにしているらしかった。ホテルで暮らす人のように、最低限のものしか身の回りに置かずにいる。それが彼の本来いるべき居場所はここではない証のように思えた。
next vol.6→8/25公開
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※この物語は2011年9月11日に上演されるJunkStage第三回公演の物語を素材としています。(作・演出・脚本 スギタクミさん)
※このシリーズは上記公演日まで毎週月・木曜日の2回公開していきます。