« ■コラム更新に関するお知らせ | Home | 【ドクター辻の時代に一言 】 第2回 “なでしこJAPAN”に一言 »
「お母さんね、最初はお父さんじゃない人が好きだったのよね」
ひとしきり騒いだ後、母は遠くを見るように目を眇めた。
「お母さんとその人はお互いの親も公認のお付き合いをしていたの。結婚を前提に、ってやつでね。お見合いだったけど、彼はいい人だったし、気も合ったし。お母さんはその人のこと、本気で好きだった……と思う。でも、まあ、破談になったのよ」
破談になったいきさつはこうだ。
そもそもの始まりは華道の家元である母が、とある会社経営者からの打診を受けてパーティでその腕前を披露したことにある。打診された日の予定が空いていたこともあって、母はその依頼を快諾した。
華道はカビの生えた「文化」などではなく、目で見て触れて聞いて楽しめるものであるべきだ。
もともとそういう持論を持っていた母は積極的にそういった場には出ていたし、数をこなすうちに請われれば相手の好みに合わせて花を生けることも出来るようになっていた。その技量を請われて依頼されることも数多くあったというから、このときも直接的なきっかけはそこを見込まれてのことだったのだろう。
このときのオーダーは株式売却を希望している大株主の好みに合わせてほしい、というものだったという。なんでもその株主は外国に移住するつもりだとかで、その前に現在保有している株式のうち、ふたつの企業のいずれかの株式を全売却したい、という無茶な希望をにおわせてきたらしい。そして、母に依頼してきたその経営者の会社も候補に挙がっていたそうだ。
事情を聞けばなおさら無心に活けることなどできるはずもなく、送られてきた資料を元に母はたんねんに相手の嗜好を探った。完璧主義な母は、素材や花器だけでなくその日着ていく着物の小物に至るまで神経を使って選び抜いたという。
そして、母のデモンストレーションは成功した。圧倒的に、完璧に。
母の活けた花に感動した株主は、経営者の説得に応じ破格とも言っていい条件で株式を保有することを快諾した。
「だけど、そのもう一つの候補っていうのが、その人のご両親のところだったというわけ」
恋人の両親が経営する企業は大株主を失い、倒産の憂き目にあったのだ。
その原因が母のせいだけではないと思うけれど、母がそれに気づいた時には恋人の両親と母の両親との間でいつの間にか破談の話が出来あがっていた。恋人とは別れの電話ひとつ許されなかった。さよならも、ごめんなさいも、伝えることすら許されなかったのだ。
ふたりの婚約は公然とではないものの知られているところだったのだから、母の受けた精神的なダメージは本当に大きかったのだろう。周囲から憐れみとも嘲笑ともつかない視線を向けられることにも耐えられず、ひとりきりで部屋にこもる日が続いたという。
「無理もない話でしょ。わたしのせいじゃない、とは言えない訳だし。知ってたら勿論引き受けなかったけど、知らないでしちゃったことだしね。でも、悲しかった」
婚約までしていた恋人と別れを強いられ、落ち込んでいた母に対して経営者は過剰なほど親切だった。毎日花を届け、熱烈ともいえるラブレターを送りつけ、電話を掛けてきた。
「正直に言って、本当にうっとおしかった。ほっといてほしかった」
ライバル会社であるから当然に事情を知っていたはずだと、母は全く経営者を相手にしなかった。ただ、無視するにはあまりにも膨大な量の花束が届き、手紙はだんだん切実な響きの言葉が増えてくるに及んで、いい加減にしてくれと初めて母から電話を掛けた。
「そしたらいきなり泣くんだもの。ありがとう、ごめんなさいって。こっちは文句言ってやろうと思ってるのに、なんだか完全に毒が抜かれちゃって」
つまりその経営者である父は昔から母に恋焦がれていた青年だった、というわけだった。
next vol.4→8/18公開
——————————————————————–
※この物語は2011年9月11日に上演されるJunkStage第三回公演の物語を素材としています。(作・演出・脚本 スギタクミさん)
※このシリーズは上記公演日まで毎週月・木曜日の2回公開していきます。