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毎日暑いですね。猛暑を通り越して、まさに酷暑!!
お盆の時期を迎えたというのに、全く涼しくなる気配がありません。
お盆と言えば、故人を偲ぶ時でもあります。
LGBTの方と関わり始めて6年になりますが、病気などでお亡くなりになったLGBTのお客様が10数人いらっしゃいます。
その中には、ご家族が手厚く供養されておられる場合もあれば、亡くなった後も親族から疎外されている場合、生前の友人たちによって毎年故人を偲ぶイベントが開かれている場合など、さまざまなパターンがあります。
人は、生きている間に行った全ての事が、その人の死後にも影響します。
もちろん、本人は既に他界していますから、本人への影響というわけではなく、親族や友人に対しては、人間関係は死後もなお影響し続けるのです。
セクシャルマイノリティに限らず、万人に好かれようとする生き方は難しいものです。そこで、少なくとも自分のごく近しい人には、自分を好きになってもらいたいと考える人が大半でしょう。
しかし、そのごく近しい人々に、どんな努力をしても自分を受け入れてもらえなかったとしたら、それはどんなに悲しいことでしょうか。
しかも、受け入れてもらえない理由が、自分の努力では変えることのできない、生来の事象だとしたら、その絶望感は筆舌に尽くしがたいものがあるでしょう。
「セクシャルマイノリティ(LGBT)が、なぜ、セクシャルマイノリティであるのか?」つまり、なぜ、少数派である彼らは存在するのか?
その答えは、医学的な観点からの解明が少しずつ進んでいるように思えますが、少なくとも、自分で選択してLGBTになったわけではないし、少数派になりたくてなっているわけではないということを、多くの人が認識しなければなりません。
「僕はなぜ、FTMに生まれたのでしょうか? その答えを聞くために、神様のそばに行ってきます」
そう遺書を書き残して亡くなったFTM(身体的には女性だが、性自認は男性である人)のある方を、私はこの時期になると思い出します。
彼は、求めていた答えを見つけられたのでしょうか?
生きることの疑問は、生きながら考えて欲しいと思います。おそらくそれが、『生きる』ということだからです。
合掌